さやかから回ってきました、4年BKリーダーの田中です。さやかは同期スタッフが一人もいない中、苦労もたくさんあったと思います。そんな中、4年間選手を支え続けてくれた彼女には感謝の気持ちしかないです。彼女のすごいところは自ら部のために何が必要かを考え、それを躊躇なく行動に移せるところだと思います。彼女が中心となって行っている名大ラグビー部のインスタの投稿を楽しみにしていた選手はたくさんいるでしょうし、私もその一人です。日ごろから選手のこともしっかりと見てくれていて、さすが最上級生スタッフだなといつも感じています。そんな彼女は同期にはもちろんのこと、先輩や後輩からも信頼され、慕われている、私が見習うべき人間の一人だと思います。まだ少し先の話かもしれませんが、引退した後も同期みんなで飯にでも行きたいですね。その時に最近はまっていることの話でもしましょう。
さて、私にもついに最後のブログを書く時期が来てしましました。私の同期はさばさばしている人が多いのでみんな短めに書くのかなと勝手に思っていましたが、前の2人のブログが思ったより長くてびっくりしています。当初は私も手短に書いて終わりにしようと思っていましたが、1人だけ短いのも恥ずかしいので、少し長めに自分語りさせていただこうかなと思います。つたない文章になると思いますが最後まで読んでいただけると幸いです。
私は名大ラグビー部の中では珍しく、小さいころから父親の影響でラグビーをしていました。タックルが嫌いで、練習に行くのをめちゃめちゃごねていた記憶があります。中学生になってもラグビーは続けました。平日の夜に少し離れたグラウンドにキックの練習をしに行ったり、休日の練習終わりに後輩と個人練習をしたり、とにかくラグビーに明け暮れた3年間だったなと思います。ありがたいことに最終学年にはキャプテンを務めさせていただき、全国大会にも出場させていただきました。しかし、全国大会では思ったようなプレーができず、チームを勝たせることができませんでした。負けてしまった悔しさと、思ったようなプレーができなかった自分の不甲斐なさでずっと泣いていた記憶があります。高校もラグビーメインで選びました。しかし、中学校最後の試合で経験した負けに対する恐怖と周りのレベルの高さに対する嫉妬から練習態度は腐っていってしまいました。当時の高校の同期や先輩、監督にはいまでも本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。そんな私でも高校最後の試合には出させていただくことができました。後半から出て何もできずに終わった記憶があります。この試合でも同期への申し訳なさと何もできない自分への不甲斐なさで泣いていました。振り返ってみると、泣いてばかりの小中高時代だったなという風に思います。そして、もうラグビーはこりごりだと思って入学した名古屋大学。先輩に誘われいつの間にかラグビー部に入っていました。最初は惰性でラグビーをやっていましたが、いつからかラグビーに対して怠惰だった高校時代のリベンジをしたいと思うようになりました。そこからはラグビーに対して少しは真摯に取り組めるようになったかなと思います。大学4年生になってからは、これまでチームを引っ張ってきた先輩方の偉大さと自分の未熟さに気づかされるばかりでした。たくさんの苦労はありましたが、指導者の方々や先輩、後輩、そして頼りになる同期に支えられて何とか東大戦前まで来ることができました。支えてくれた方々には感謝の気持ちしかないです。本当にありがとうございます。
感謝の気持ちを伝える一番の方法はやはり試合に勝つことです。最後の東大戦何が何でも勝って今までお世話になった方々に少しでも恩返しができるように頑張ります。どうか最後までteam井原をよろしくお願いいたします。
最後にはなってしまいましたが、こんな駄文を最後まで読んでくださりありがとうございました。
次はたいきに回したいと思います。FWリーダーとして今年の名大ラグビー部のFWをよくまとめ上げたなと感心しています。彼と他の同期の見苦しいイチャイチャを見せられるのもあと少しだと思うと寂しい気持ちになります。最後の試合勝って、楽しい思い出を残せるようにお互い頑張ろう!
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