2025年12月19日金曜日

ラグビー部に入部して

BKリーダーのきぬから回ってきました、副将の益池開都です。


きぬがこの1年間、BKリーダーとして重圧の中グラウンドに立ち続けたことを本当に尊敬しています。私たちの代は、FWに高校からの経験者が4人いる一方、BKはきぬただ1人でした。昨年颯さん、大地さん、涼介さんと圧倒的だった先輩方が抜け、上手くいかないことの方が多かったでしょう。その中で、きぬ自身FW出身であるに関わらず、その責任を一身に背負い、悩み葛藤しながらもここまでBKを引っ張ってくれました。きぬがいなければ、BKはここまで頼もしくなっていなかったでしょう。本当にありがとう。

新歓初期にランパスに誘ってくれて無限にランパスをしたこと、オフ期間に筋トレと体重の勝負をし切磋琢磨したこと、きぬの家でみんなでワールドカップを観たことなど、きぬとは数えきれない思い出があり、心にも身体にも刻み込まれています。本当に楽しかったし懐かしいね。最後の東大戦はラグビーを楽しんで最高のプレーを魅せてね。


この4年間、何回かブログを書いてきましたが、今回がラストブログになります。同期のみんなのように自分の想いを長文にして伝えたい、そんな気持ちもありますが、私は卒論に追い込まれすぎているので手短に終わらせます。


今までお世話になった方々に、厚く御礼申し上げます。東大戦勝ちます。


次はじゅんぺいに回します、と書きたいところですが、さすがにしっかり書きます。書くにあたって同期のブログを読みましたが、心が奮い立たされました。その内容は全てがポジティブなものではありませんでした。しかし、それぞれが真剣に取り組む中で壁にぶつかり、それでも何とか前を向いて進んできた4年間の歩みをブログに綴っているので当然です。4年のラストブログを読んだ後輩たちは、胸を熱くしてくれているでしょうか。私も4年間を振り返りながら、みんなの心に響くようなブログを書ければと思います。




1年生

晴れて名大文学部に合格して、大学生活に心躍らせていました。高校の部室に『アイシールド21』というアメフト漫画があり、あまりにも面白すぎたのでアメフトをやってみたいと思っていました。今振り返ると、ラグビー部の部室にアメフト漫画を置くなんて禁忌ですね。大学でアメフトをやらせたい高校OBの方の罠だったのかも知れません。


漠然とアメフト部に入ろうかと思っていた3月中旬、温さんからLINEが来ました。当時全く面識のない温さんからいきなりLINEが来て大変驚きましたが、誘われて参加したオンライン新歓で名大ラグビー部に惹かれました。あれよあれよと練習見学に行き、3月中にはラグビー部に入りました。新歓の勧誘する側を3年間経験した今、早期に入部した当時の自分を褒めたいと思います。初めてグラウンドに来て99%入部すると宣言し、3月中には入部する新入生がいてくれたら新歓学年としては本当にありがたいですよね。そんなありがたい新入生ムーブが見事に出来ました。


高校ではセンターでしたが、大学ではFWにチャレンジしました。パスとキックは苦手だったので、フランカーでコンタクトプレーだけしたいという脳筋的考えでした。同期に強豪名古屋高校のフランカーこうきがいましたが、ポジション争いのガチンコ勝負をしにいきました。こうきに負けたくないと対抗心むき出しで練習していたのが懐かしいです。勝負の結果としては、ポジション争いで大敗北しましたが、東大戦でラインアウトスチールしたので私の勝ちです。


話題は変わりますが皆さんが嫌いな練習メニューは何でしょうか。おそらくフィットネスと答える人が多いと思います。1年生の頃の私は、分かれが一番嫌いでした。同期のこうき、たくほ、じゅんぺいはメンバー入りしてラインアウトやスクラムを合わせている中で、メンバー外の私は基礎練をずっとしてました。その時のFWの人数が4学年合わせて14人でした。(怪我人とかで変わりもしましたが)13人がメンバー入り出来るので、私だけメンバー外でした。練習では1人だけ合わせず、試合ではタッチジャッチのリーグ戦期間、屈辱すら感じて本当に辛かったです。当時4年生だった徳永さんがご飯に誘って励ましてくださった時は本当に泣きそうでした。


徳永さんはプレー以外のことも良く見てくださる方でした。練習前のボールの空気入れ、マーカー並べやごみ捨て、段ボール捨てを積極的にやっていた事を褒めていただいたり、練習前に部室に早く来て掃き掃除をしていたことも見てくれていました。ますかいみたいな良いやつと一緒に試合に出たい、この言葉は辛かった私の支えになり、試合に出れるように頑張ろうと前を向くことが出来ました。


今のチームでも、りょうせい、のすけを始めとしてチームの仕事を積極的にしてくれる後輩がいます。本当に感謝しています。いつもありがとう。めんどくさいけど誰かがやらなければいけない事を積極的にやれる、素敵で尊敬できる後輩です。他のみんなもぜひ彼らを支えて欲しいです。


最後の東大戦は、怪我人の都合上フランカーでフル出場しました。結果は1トライ差で敗北。私がエイタンを止められず取られた1トライが決勝点でした。試合終了後、誰よりも泣いた気がします。自分の不甲斐ないプレーのせいでお世話になった4年生が最後の試合で勝てなかった。この時の感情を決して忘れた事はありません。



2年生

もう2度と悔しい思いはしたくない、東大への臥薪嘗胆の思いでオフ期間身体作りに励みました。週3日以上、毎回ベンチプレス、フルスクワット、デッドリフトを行う狂気的メニューをこなし、空腹を忘れるぐらいご飯を食べました。結果、10kgくらい体重を増やすことに成功しました。


身体が大きくなって練習では当たり負けが少なくなり、プレーに自信が持てるようになりました。しかし、身体が大きくなり、気まで大きくなってしまいました。当時最強格であった雄一朗さんにフロントサイドによる正面衝突勝負を挑み、右肩の肩鎖関節をとんでもなく痛めました。今でもたまに痛みます。4年間で最大の判断ミスを挙げるとしたら間違いなくこの出来事です。


2年次は、フッカーにも挑戦しました。フッカーが1人しかおらず、フランカーの人数が多いというチーム事情的な理由もありましたが、試合に出るためにはなんでもやろうと思っての挑戦でした。1年次試合に出れなかった悔しさから、どうすれば試合に出られるかをずっと考えていた記憶があります。怪我をしても練習を休まないのは、私なりの試合に出るための作戦でした。FWの控えは5人で貴重です。その交代枠に、怪我ですぐに離脱してしまう選手や、1つのポジションしか出来ない選手は選ばれにくいと考えていました。複数ポジションが出来るが故に控えになってしまった悲しい記憶もありますが、チームに必要とされるだけで嬉しかったです。試合に出るためには、やせ我慢作戦が有効だと声を大にして言いたいところですが、スタッフさんや藤本さんのいい迷惑になりそうなのでやめておきます。


阪大戦、東大戦に出場し、そのどちらも勝利することが出来て本当に嬉しかったです。定期戦で、名大のジャージに袖を通しグラウンドに立つ高揚感は何事にも変えがたいものでした。1年生の東大戦ではブカブカだった6番のジャージがきつく感じた時、ふと自分が積み上げてきたものを実感できました。本当に充実した1年間でした。



3年生

さらに身体作りを強化し、本格的にフッカーに挑戦しました。フッカーでもスタメンを奪ってやると意気込んでいましたが、たいきさんの熟練のスクラム、そして正確無比なスローに全く歯が立ちませんでした。自分より身体の小さいたいきさんの方がスクラムが強く、何度も押し負け、スクラムの奥深さを痛感しました。少し経験した程度で務まるポジションではないことを肌で感じ、今後やっていけるのか不安に駆られていました。そんな私に、たいきさんはスクラムのコツを細かく助言し、練習後にはスロー練習にも根気強く付き合ってくださいました。

いつの間にか、上手くいかないことがあればすぐにたいきさんに相談していました。ポジションを奪おうとしている相手に技術を乞うという、今思えば非常に図々しい振る舞いだったかもしれません。しかし、上手くなるために臆面もなく縋ることができたのは、私の一つの才能だったとも感じています。

どんな手段を使ってでも勝ちたい、上手くなりたい。この勝利への渇望こそがラグビーには不可欠です。下級生や初心者を含めた全員が、このレベルで激しいメンバー争いを繰り広げれば、名大ラグビー部はより強く、逞しく成長していくはずです。

3年次には主務を務めました。正直、しんどさやつらさが勝る時期もあり、昨年の夏頃にはその苦しさから、今振り返ると恥ずかしくなるほど重い内容のブログを書いてしまったこともあります。

昨年のブログのこともありますので、今回はあえて主務・副務の詳細には深く触れませんが、この二年間で得た経験は人生において大きな財産となりました。対戦相手との交渉や合宿の手続きなど、広い視野でチームのために何ができるかを模索し、実践したことは、組織を俯瞰する視点を得られ、自分を大きく成長させてくれました。

主務の経験は、現実的な話をすれば就職活動においても強力な武器になりました。しかしそれ以上に、泥臭い裏方の苦労を経験したからこそ見える景色がありました。この役割を全うできたことは、私にとって何物にも代えがたい貴重な経験です。


4年生 

副将となり、最上級生としてチーム運営を担うことになりました。きぬもブログに書いていた通り、オフシーズンの部室で戦術を語り合っていた時だけが、唯一明るい未来を夢見られた時間だったかもしれません。


シーズンが始まると、SBDMで先輩方に圧倒され、愛工大や阪大にも敗北。たいきさんが引退された後、正フッカーとして出場したものの、自分の技術不足でスクラムやラインアウトのミスを連発。正直、ラグビーが全く面白くないと感じるほど、苦しい時間が続きました。


そんな中、谷口監督や土門さんのお力添えもあり、大きな決断を下したことでチームは少しずつ浮上し始めました。お二人の導きがなければ、今年のリーグ戦は目も当てられない結果になっていたでしょう。合宿後、私たちに厳しい喝を入れてくださったことに心から感謝しています。


また、春先には「デカくなれ」とひたすら太らせ、夏には一転して地獄のように走らせるという、今思えば過酷で、一貫性に欠けた方針に付いてきてくれた後輩たちにも、感謝の言葉しかありません。必死に食らいついてくれたみんなの存在に、私たち同期一同、本当に支えられました。


個人的には、副将でありながら、チームが一番苦しい時間を肋骨の骨折で共にすることができず、申し訳なさと歯がゆさでいっぱいでした。しかし、怪我明けのフィットネスでみんなの姿を見たとき、自分との差に愕然とすると同時に、みんなの確かな成長を肌で感じ、どこか誇らしく、嬉しい気持ちになったのを覚えています。



卒論で忙しいと言いながらも、改めて4年間を振り返ってみると、驚くほど筆が進んでしまいました。卒論の1,000字にはあんなに時間がかかるのに、このブログがあっという間に書けてしまったのは、それだけ濃密な時間を過ごしてきた証拠なのだと思います。東大戦は、私のラグビー人生の最後の試合になります。全身全霊で臨みます。応援のほど、よろしくお願いいたします。



最後になりますが、谷口先生、佐々木先生、藤本さん、OB・OGの皆様、そして名大ラグビー部を支えてくださった全ての方々、本当にありがとうございました。

皆様からの多大なるお力添えがあったからこそ、この4年間を走り抜き、そしてこの1年間、無事に部を運営することができました。皆様の支えがなければ、今の私たちは間違いなくありませんでした。心より感謝申し上げます。

そして土門さんには、本当にお世話になりました。 2年生の頃、生意気にもフィットネスの前に「一緒に走りましょう!!!」と声をかけるなど、当時の私はあまりに無礼で、失礼な言動ばかり取っていました。しかし、土門さんはそんな私の血気盛んな振る舞いを疎んじるどころか、いつも面白がって受け入れ、同じ目線で一緒に走ってくださいました。

一昨年の東大戦でトライを決め、焼肉に連れて行っていただき熱いお話を伺ったこと。台湾遠征で同部屋になり、就活から家庭のことまで何でも相談したり、二人でモスバーガーを食べに行ったりしたことは、私にとって一生の思い出です。 また、グラウンドで楽しそうにラグビーをするこうたろう君の姿は、過酷な練習の中での大きな癒やしでした。情熱型で時に空回りしそうな私たちの代を、広い心で包み込み、正しい方向へと導いてくださったことに心から感謝しています。



最後の東大戦では、家族や友人、そして私のラグビー人生を支えてくださった全ての方々に、恩返しができるようなプレーをすることを誓います。泥臭く、ひたむきに、自分の持てる全ての力を出し切り、最後は勝利という形で感謝を伝えたいと思います。


次は、主将のじゅんぺいに回します。 この1年間、彼は誰よりもチームのために思考し、誰よりも身体を張ってきました。副将として、私は彼を十分に支えることができたでしょうか。主将という立場ゆえの孤独に、少しでも寄り添うことができていたのなら、これほど嬉しいことはありません。

じゅんぺいと初めて出会ったのは、高校時代の練習試合でした。「とんでもなくデカくて強い奴がいる」と圧倒されたのを覚えています。まさか大学で同期になるとは思いもしませんでした。入学後、豊田講堂前で再会した時のあの感動、そしてこれから始まるラグビー部生活への高鳴りは、今でも鮮明に思い出すことができます。

この1年間を通して、じゅんぺいが主将になってくれて本当に良かったと心から思っています。じゅんぺいは最高の主将でした。 最後の東大戦、絶対に勝とう。


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