2025年12月10日水曜日

4年間で得られたもの

かりんから回ってきました、4年の彦坂です。最初はあんなにいた同期の女子スタッフもかりん1人になってしまいました。そんな中でもかりんは人一倍選手のことを考え、スタッフとして働いてくれました。感謝してもしきれません。男しかいない中ご飯に行って僕たちのしょうもない話をいつも笑ってくれたかりんは本当に我々の母親的存在でした。ほんとに4年間ありがとう!!

東大戦も全力でぶつかるから最後まで見ててね!

4年間最後のブログということでまずはこの4年間を振り返りたいと思います。

まずは1年性。誰よりもダサい入部宣言で入部しました。最初の1年は頭のネジを外せず、びびっていました。ケガとも言えないケガで練習できない時期も長かったです。それもあり、大きくモチベを落とした時期もありました。

それでもそんな期間を乗り越えて2年生。春シーズンはWTBとして運良く出場機会がもらえました。阪大戦も出してもらえました。また、WTBだけでは4年間生き残れないと考え、FBにも挑戦しましたが全く上手くはいきませんでした。

合宿から秋シーズンは試行錯誤の半年でした。合宿では全然上手くいかず、2年生3人で仲良く干されていたのを思い出します。出場機会を求め、1年生試合で始めてやったCTBにも挑戦しました。リーグ戦では多くの出場機会をもらえ、大きく成長でき、初めてのトライも取れました。

2年生での出来事としては入れ替え戦での大戦犯は今でも鮮明に覚えています。あれのおかげで自分の1つのミスによって負けてしまうラグビーの怖さを知りました。負けてはしまいましたがあれのおかげで自分は大きく成長できたとおもうのであの大事な試合にラグビーを始めて2年も経たない人間を出していただけたことには感謝しています。

最後の東大戦には出場することはできませんでした。東京まで行って1分も試合に出れず、めちゃくちゃ悔しく、来年は絶対に東大戦に出ると心に誓いました。

3年生では絶対にCTBとして東大戦には出るという目標を掲げて春シーズンに臨みました。3年生の1年間はポジション争いをしていたきぬのおかげで大きく成長できたと思います。自分がきぬと勝負するにはATはどう考えてもきぬには勝てないのでとにかく詰めのディフェンスを磨きました。自分が多少タックルを外しても絶対にカバーしてくれる涼介くんの存在も大きく、詰めのディフェンスをかなり上達させることができました。よくわからんウイルスにもかかったし、細かいケガも多かったですが、東大戦にCTBとして出場するという目標は達成できましたが、勝つことはできず悔しい思いをしました。

そして4年生。自分がチーム全体を見て、ミスをカバーしなければならない立場になりました。当然自分がミスすることはできないので思い切って詰め切ることが3年生より難しくなりました。また、BKを引っ張るという意味ではきぬに頼りすぎてしまったと大きく反省しています。阪大戦で負け、合宿で全敗し、チームとして方向転換をしていい方向には向かえましたが、中部愛工に勝ち、入れ替え戦に進むことは叶いませんでした。

正直4年間で何度も心が折れかけました。合宿で干されたとき。入れ替え戦で負けたとき。東大戦に出れなかったとき。愛工戦で思い通りにプレーできなかったとき。例を挙げたらキリがありません。

初心者は特に心が折れることは多いと思います。毎年春には新入生が入ってきていつポジションを取られるか怯えることになるし、ポジションによっては試合のメンバーに絡めない時期も長くなってしまいます。

僕も完全にやる気をなくし、他の遊んでいる大学生を羨ましく思ったときもありました。しかし4年間経った今、全くそうは思いません。たしかに初心者からラグビーをするのは大変で、それを放り投げて4年間遊ぶだけなのは楽しいし、そういう大学生活も全然ありだとは思います。でも僕自身はラグビー部での4年間で遊ぶだけでは得られない経験や人間関係を得ることができたと思っています。チームの誰かや他のチームに勝つためにどうするかを考えるような経験は遊んでるだけでは得られない経験だし、ここまで深い関係性の同期や先輩、後輩にも会えなかったと思います。特に初心者のみんなにとって4年間はきついこともたくさんあるかもしれませんが、やりきったときには大きなものが得られると思います。絶対に4年間やりきりましょう。辞めたくなったら辞める前に誰かに相談しよう。

後輩へ

これまでついてきてくれてありがとう。正直別に上手くもないし威厳のない先輩だったと思います。うざい絡みもたくさんしました。こんな先輩にはならないほうがいいです。後輩のみんなが頑張っているから自分が頑張れた側面も大きかったと思うのでその点でも感謝しています。あと1週間ちょい東大戦まであと少し力を貸してください。

同期へ

自分が4年間続けられたのはみんなのおかげです。同期に負けたくないという気持ちがラグビーをやるエネルギーになっていたし、部活外でもいつも一緒にいるのは同期でした。色々ぶつかりもしたけどそれも1つの経験として大きく成長することができました。本当にありがとう。これ以上は寒いのでここでおわっときます。

東大戦勝とう。

最後になりますが、谷口先生、土門さん、藤本さん、名大ラグビー部を支えてくださった全ての方々、本当にありがとうございました。みなさんのお力添えがあったからこそ、この1年間不自由なくチームを運営することができました。改めて感謝申し上げます。

次は大気に回します。大気とはこの4年間色々ありました。初心者連でボコボコにされたり、電車の中で大喧嘩をしたりもしました。頭のおかしい木下くんではありますが、実習で部活にいない期間は寂しくはありました。実習から帰ってきて声で練習を盛り上げる様子を見るとおれらには大気が必要なんだなと改めて実感しました。

でもやっぱり頭がおかしくて絡み方も僕を遥かに凌駕するウザさなので過剰摂取すると胃もたれします。やっぱり1週間に1回くらいでいいや。

東大戦でも熱苦しくてバカでかい声頼んだ!

2025年12月8日月曜日

大正解でした!

 せいやから回してもらいました。4年スタッフの菊池花梨です。

自分のブログを書くまでは同期のブログを読まないと決めていたので、私へのコメント部分のみせいやに教えてもらったのですが、今、うれしい気持ちでふわふわしています。

なぜか話しやすい雰囲気で、だけど割としっかりしているせいやは、当然周りからも頼りにされていて、ずっと私が目指してた姿だなあ、と正直羨ましく思っていました。部活をしていく中でお互い悩むこともたくさんあったけど、心の友(笑)として一緒に乗り越えてこれて良かったなと思ってるよ。こちらこそ今までありがとう!恥ずかしいのでここまでにしておきます!

ラストブログを書くにあたり、先輩方のブログを読み返したら、昨年先輩方が引退された時点で最終学年という実感はあったはずなのに、また改めて最後なんだなあと実感しました。この1年本当に怒涛だったなと思います。

言葉にするのが上手じゃないので、ブログもすごく読みにくいと思いますが、自分の気持ちをしっかり書くので読んでくれたらうれしいです。

まず嬉しかったこと。

3年生から外傷最高学年となり、以前から力を入れたいと思っていた緊急時の対応を任せていただくことが増えました。ご助言をいただきながらEAPを作成し、チーム全体で緊急対応の練習を重ねました。昨年冬のオフ明けからは何回するんだ!ってくらい練習をしたと思いますが、実際に怪我が起こった場面で、選手が進んで担架を運ぼうとしてくれる姿やベルトを素早く巻いている姿を見て、練習したことがしっかり役に立っているなと感じました。緊急対応をしなくていいことが1番嬉しくはありますが、とても嬉しかったです。また、他大学のスタッフの方から「参考にしたい」と声をかけていただいた時は、他チームにも良い影響を与えられているのか、、と嬉しく思いました。大好きな先輩方から直接褒めていただけた時もとてもとても嬉しかったです!!

まだまだたくさんありますが、あとは自分の中で大切にしておこうと思います。

つぎに悔しかったこと。

合宿での試合が負けで終わってしまったことが本当に悔しかったです。阪大戦ももちろん悔しかったけれど、今年の合宿は部活史上1番悔しかったかもしれないです。スタッフだから直接試合に関われないことは分かっていたけれど、普段より近くで長く選手を支えられる環境だったからこそ、もっと何かできたんじゃないかと考えて悩んだ記憶があります。だからか合宿後は一層部活に熱が入りました。それは私だけではなく、みんなも同じだったと思います。暑い中フィットネスまでやりきり、疲れてるけど清々しい顔で練習を終えてく選手の姿をみると、勝ちに向かって頑張ってる彼らが本当にかっこよくみえました。おこがましいですが、こんなに熱くてかっこいい人たちを支えているんだなと、嬉しく誇らしく思いました。負けはすごく悔しかったけれど、それをバネに部活に取り組めたことは本当に良かったなと思います。

私は多分、考えすぎる負けず嫌いなのですが、そんな自分自身にもちょっと悔しさがあります。同期スタッフの2人と比べて、私にはこれといって強みがないなと思ってしまうことが多々あって、私がここにいる意味はあるのかとくよくよしていた時期があったからです。しかし今振り返ると、ラグビー部のために動くことは、なんでも自然と頑張れていた気がします。言い方は少し照れますが、私はラグビー部のみんなのことが結構本当に好きです。それが私の強みで、ラグビー部にいた理由だったのかなと思います。

ここからは感謝ゾーンです。

最高学年なってからは、責任感や義務感に飲み込まれそうになりましたが、それを乗り越える中で同期スタッフの存在に本当に支えられました。ありきたりだけど、2人の自由かつ真剣に部活をしてる姿に何度助けられたかわかりません。3人の感じてることや考えてることが同じだった時は、2人が同期でよかった〜と思いました。辛い時、上手くまとまらない拙い言葉でもしっかり聞いてくれて、2人には頭が上がらないなと思ったよ。この1年、1番支えてくれたのは2人だと思っています。はちくん、せいや、本当に本当にありがとう。

明るくて元気な後輩に元気もらったことも何回もあります。かりんさん〜ってキラキラした目で話しかけてくれて、こんな後輩に恵まれて私は幸せだなと思いました。ずっと一緒に部活したいなと思いました。実習期間は部活に行けなくてたくさん迷惑かけたと思うのに、変わらず接してくれたり私の体調を気にかけてくれたり、、嬉しかったです。

みんなはすごくやる気に満ちていて自分のやるべきことが明確になっていて、素直にかっこいいなと思います。自分が大事だと思うことを大事にしながら信じて進んでほしいと思います。自分のやっていることに意味はあるのか?と思ってしまう時もきっとあると思いますが、4年間部活して気付いたのは、確実にラグビー部のためになっているということです。見えない仕事も多く不安になるかもしれないけれど、みんなの一つ一つの仕事でラグビー部は上手く成り立っていると思います。適度に休憩しつつ楽しく部活してくれると嬉しいです。

同期は、入部当初から印象は変わらず、元気だな!です。ですが、4年生になってからの彼らはまた一味違って、ちゃんと先輩になっていました。練習や試合で見せる姿とオフにふざけている姿のギャップがすごくて、何だこの人たちは?!と思うと同時に、こんな人たちと同期でいられるのは図々しいな自分にはもったいないなと感じます。それくらいすごい人たちだと思います。試合で負けた時には自分たちが1番悔しいはずなのに、勝てなくてごめんなって言葉をかけてくれて、胸がぎゅっとなりました。最後の試合ではその言葉を聞かなくていいように、できるサポート全部します。勝とうね。

話すのも得意じゃなくて、仲良くなるのが遅くなっちゃった気もするけど、いまはみんなと同期でおれて本当に幸せだなと思っています。引退まであと少し、これからもよろしくね。

音楽しかやってこなかった私が急に飛び込んだラグビー部でしたが、なんやかんや、とっっても楽しかったです。以前母が、花梨が選ぶ道は間違ってないと言ってくれたことがありましたが、ラグビー部を選んた事もやはり間違いじゃなかったです。大正解だったと思います。 

最後になりますが、谷口先生、土門さん、佐々木先生、藤本さん、OBOGの方々、そして名大ラグビー部を支えてくださる全ての方々に感謝申し上げます。たくさんの方々の温かいご支援により、4年間部活ができたのだと感じています。ありがとうございました。

ブログを書いてて思いましたが、感謝することが多すぎます。次はおとにブログを回すのですが、おとにももちろん感謝していることがあります。意識しているのか分からないけれど、おとはドリンクを運んだ時、毎回ありがとうって言ってくれます。別にありがとうって言われるために運んでいるわけではないけれど、なんだか認められた気がして、頑張るぞーー!!ってなります。ありがとう。

プレーでは、1番大きい声を出してるし全力でぶつかりに行ってて本当にBKなのか?初心者から始めたのか?って思ってます。東大戦でもそんなプレーがみれるのを楽しみにしてるよ!

2025年12月7日日曜日

多様な見方は人生の味方

一熙から回ってきました、4年スタッフの吉川晴也です。僕自身ハーフを経験した身であるからこそ、大学から始めた一熙がこの4年間どれだけ努力してどれだけ苦労したのかがすごく伝わってきて、とても尊敬しているし、一熙がテンポの良いパスや的確なハイパントをした際には、自分のことのように嬉しくて、頑張る力をもらっていました。ありがとう。

 これからもいつも通り機嫌万全で頑張ります。東大戦はただただ信じてます。

冒頭にはなりますが、お世話になった方々に感謝申し上げます。佐々木先生、谷口先生、土門さん、藤本さん、院生の方々、OB・OGの方々、そして名大ラグビー部に関わってくださったすべての皆様、4年間ありがとうございました。最高学年となり、多くの方々に支えられていることを強く実感いたしました。残りの東大戦まで変わらぬご支援・ご声援のほどよろしくお願いいたします。

さて、いよいよ最後のブログとなってしまいました。ブログは人に向けて書いているようでいて、その実、自分自身に向けて書く、自分自身を映す鏡のようなものだと思っているので、とても恥ずかしいという気持ちと同時に、これほど真摯に部活と向き合い、考えに考え抜いてきたからこそ、こうして自分の想いを綴ることができていることに喜びに似た何かを感じています。

特に僕は、思っていることを内に抱え込んでしまって、なかなか人に伝えることがないので、これを読んで驚かれる部分もあるかもしれませんが、最後なので赤裸々に綴っていきたいと思います。

 まずは、選手経験者のスタッフという視点から書いていこうと思います。僕は高校でSHをやっていました。3年間やり抜いたものの、中学時代から頭痛や吐き気を感じることが多く、毎朝吐いたり、学校や部活に行けなかったりすることがあり、とてもしんどかったので、大学ではスタッフという道を選びました。今でこそ、スタッフ14人中6人と男性スタッフの割合が多くなり、選手経験者の子も2人増えましたが、入部当初は恭司と僕しかおらず、恭司が入部していなかったら確実に僕は入部していませんでした。

 それだけスタッフという仕事に対して自分がやっていけるのか不安があり、選手経験者としても自分には何ができるのか模索していました。

 恭司や先輩方も書いていましたが、正直「なぜ自分のためになるわけでもないのにこんなに人のために頑張っているんだろう」、「なぜ誰からも知られず、褒められるわけでもないのに影でこんなに時間を費やしているんだろう」、「今何してるんだろう」とスタッフの仕事に対する意義を感じられない瞬間も多々ありました。

 でも、選手からの「ありがとう」とチームの勝利に救われて、続けてこられました。ドリンクを運んだときのほんの些細な「ありがとう」だけで本当に救われる日があります。今までの自分が報われた気持ちになります。この一年は、スタッフLINEへの連絡にリアクションボタンをもらえるだけでも報われた気持ちになっていました。末期です。

また、1、2年のときは中途半端な立ち位置だと感じることもとても多かったです。選手が先輩後輩含め、いろいろな人と繋がりを深めていく中、自分のシフト外での練習や筋トレの際に話していた内容についていけなかったり、ご飯や遊びに参加できなかったり、スタッフとしても異性の壁を感じる場面があったりと、特殊な立ち位置でどちらにも馴染みきれない、どちらにも所属しきれない、そんな孤独感を感じることもありました。選手・スタッフどちらとも尊敬していて仲良くしたいし、良いとこ取りができると甘い考えでいましたが、最初の方は都合よく行かず、関わり方は本当に難しかったです。

 でも今は本当にこのポジションでよかったと感じています。選手経験があるからこそ選手の努力や大変さを他のスタッフの誰よりも実感していると思うし、選手経験があるからこそスタッフの仕事の大切さやスタッフの熱意を感じられていて、本当に尊敬する人たちと一緒に部活ができて、貴重な時間を過ごすことができて幸せです。

 また、男性スタッフが増えて、選手経験者の後輩ができたこともよかったなと感じています。後輩に対してある程度道を作ることができたのかなと思うので、これからさらに幅を広げて、より良いスタッフ組織を作っていってくれることを期待しています。

 最近は、台湾遠征に向けてフィットネスに参加させてもらっているのですが、とても楽しいです。もちろんしんどいです。もちろんしんどいのですが、選手のしんどさや努力を少しだけ共有できているようで、それが何よりも楽しいです。2年のときに初めて選手の試合の反省を見たとき、大量に書かれていてとても感動したのを鮮明に覚えています。ラグビーに対する熱意をすごく感じて、この人たちの支えになりたいと、そのとき初めて強く思いました。しんどさが分かるからこそ、チームの勝利は自分のことのように嬉しく思います。

余談ですが、明日12/7は一宮高校と旭丘高校の定期戦(秋山杯)のOB戦に参加するので怪我をすることなく勝てるように頑張ります。

次に、後輩スタッフのみんなに学年ごとにメッセージを送りたいと思います。実は、ブログの内容を考えるにあたり、1番最初に思い浮かんだのが後輩スタッフへのメッセージでした。10月頃にはもう浮かんでいて、それだけが構想にある状態でした。

 本当にこの一年、いろいろな話を聞かせてもらいました。合宿での話し合いだったり、1、2年生とは面談をさせてもらったり、3年生や一部の人とはまた別の機会でしっかり話を聞かせてもらったりして、とても貴重な時間でした。一人一人考え方が全然違って、学ばせてもらうことだらけでした。なかなか余裕がなくて、心配をおかけすることもありましたが、できるだけ一人一人としっかり向き合いたいと考えていたし、様々な価値観に触れ合う瞬間は自分の人生を彩ってくれて、楽しかったです。

 ただのお節介で烏滸がましいことかもしれませんが、たくさん話を聞かせてもらった身として少しメッセージを書かせていただけたらなと思います。

1年生へ

 もうほんとにそのまま進んでいってほしいなと思っています。これは決して投げやりな言葉ではなくて、3人ともラグビー部スタッフの仕事に活きるバックグラウンドがあって、3人の性格やスキルが良い意味で方向性が違ってトライアングルみたいでバランスがいいなとか、4年スタッフに似た雰囲気を少し感じるなとか勝手に思っていて、着実に進んでいけば心配ないと思っています。本当にこの一年、1年生とは思えないほど積極的に仕事をしてくれて、分析については1年生にたくさん任せたいと思うほど頼りにしてました。これから後輩ができて大変なこともたくさんあると思うけど、3人で話し合いながら着実に進んでいけば大丈夫だと思います。短い間だったけどありがとう。みんなが成長していく姿を少ししか見られなかったのがとても残念です。これからも応援しています。

2年生へ

 ほんとにいろいろな意味で大変な代だなって思います。みんななら心配ないという気持ちとそれでも心配に思ってしまう気持ちと半々です。僕から言えるのは、焦らないでほしいなということです。とても真面目で貪欲な人が多いからこそ、現状に満足できず不安になってしまったり、人と比べて落ち込んでしまったりということが多いと思いますが、みんななら焦らず落ち着いてやれば何も問題ないです。むしろ、視野が広がっていろんなことが見えてくると思います。今年は上級生が抜けている中で下級生でありながら自立して責任を持って行動してくれて、本当に助かりました。その反面、責任を感じさせすぎてしまったことを申し訳なく思っています。2年生のみんなはもっと間違えたっていいと思います。来年からはより責任も伴うけど、間違うことは決して悪いことではなくて、誰でも間違うし、間違うことでしか気付けないことの方が多くて、過度に気にする必要はないと思います。また、それぞれ得意不得意があって、その人にしかできないこと、その人がやるべきことがそれぞれあるので、その個性を大切にしてほしいです。自分をよく知ることが相手をよく知ることに繋がり、自分を信じることが相手を信じることに繋がると思います。本当に応援しています。今までありがとう。

3年生へ

 以前一人一人しっかり話せたので、特に伝えたいことはないです。ただ1つだけ、そのときにも話したように、メリットだけじゃなくてデメリットやリスクを考えながら、全体最適を目指していってほしいです。この1年、スタッフ組織をまとめるということが本当に大変だったので、来年もきっと想像以上に大変だと思います。でも何も心配していないです。みんななら大丈夫だと信じています。何か言えば言うほど失礼じゃないかと思うくらいです。3年間ずっと支えてくれてありがとう。次のスタッフ組織を楽しみにしています。

後輩スタッフへと書きましたが、最後に同期スタッフ、同期選手にも書きたいと思います。

同期スタッフへ

 本当にこの一年は、2人に支えられました。2人がいなかったら間違いなく潰れていたし、自分が間違った方向に進んだときに止めてくれたのも、みんなで同じ方向を向き続けられたのも本当によかったです。この4年間いろいろあったけど、2人と最後まで部活ができてよかったです。ありがとう。あと少し一緒に頑張ろう。

同期選手へ

 今まで本当にありがとう。我が強すぎる代だったけど、一緒にこの貴重な4年間を過ごせて本当によかったです。

 東大戦は負けたら許しません。阪大戦は今までで1番悔しかったです。中部大戦はメディとしてあるまじきほど試合中に声を出しました。愛工大戦はビデオを撮りながら悔しさを押し殺しました。

東大戦は絶対に勝ちたいです。勝って嬉し涙で終わろう。

最後に。僕は、中学の頃から大切にしている座右の銘があります。それは「多様な見方は人生の味方」というものです。人生で1番辛かった中学時代にリフレーミングという考え方に出会ったことがきっかけでした。物事の善し悪しは考え方次第であって、様々な見方・考え方を持つことで自分や他の人に良い影響を与え、自他ともに人生を豊かにすることができると考えています。常日頃から1つの物事に対して多角的な視点で考えることを心がけています。

 このラグビー部での4年間は、選手の視点、スタッフの視点だけでなく、多くの人の考えや価値観を学ぶことができ、入部前とは比べものにならないほど、人として大きく成長できました。毎年やめたいと思うほど辛いこともたくさんありましたが、その辛さからも学ぶことだらけで、今の自分がいるのは関わってくださったすべての方々のおかげです。この経験は間違いなく自分の今後の人生の味方となってくれると信じています。

 改めて今までありがとうございました。

次は花梨に回します。

花梨とはこの1年特に仲良くなって、弱音もなんでも話せる仲になって、花梨がいてくれたから部活頑張ろうと思えたし、1番の心の支えでした。考えすぎてしまうところが似ていて、何度も挫けそうになったけど、一緒に乗り越えられて、花梨がいてくれて本当によかったです。今までありがとう。あと少し一緒に頑張ろう。

2025年12月5日金曜日

尊敬と感謝

 晃基から回ってきました、4年の大杉一熙です。

ラグビーに関してずっとシビアな意見を言ってくれて、自分を成長させてくれました。冷静な判断と分析ができることも尊敬してるし、これほどまでチームが走れるようになったのは1番走れて1番厳しさを求めることができる晃基が引っ張ってくれたからだと思っています。

男子校のスピリットは消えないだろうからこれからも馬鹿みたいな話しよう。

さて、ラストブログとして過去の振り返りと思っていることを書こうと思います。自分語りになりますが、読んでいただけると嬉しいです。

中高6年間吹奏楽部をやっていましたが、とにかく真反対のことがやってみたくて新歓で1番かっこいいと思ったラグビー部に入りました。運動経験のない吹奏楽部の人間が、ラグビー部に入ったらどこまでやれるのかといった純粋な興味しかなかったです。

初心者練の初日のフィットネスでガゼル5本を全力で走り、これが4年間続くのかと一瞬で後悔した記憶があります。ただ、そこでやり抜くことができたのは院生の方々がタックルを受けまくって下さりアドバイスを下さったおかげ、初心者組が極限にきつい中で支え合えたおかげだと思います。

2年になり、スクラムハーフになった事の重大さを感じ始めました。パスは練習しても全然上手くならないし、新しく導入されたポッド戦術で左右の判断なんてもってのほかでした。上手い後輩が入ってくる中で、悔しさというか無力感しかなく、半分匙を投げていたと思います。

3年生になって少しパスやキックに自信がつき始めました。ようやく個人練でやってきたことが結びついてきたと感じ、春シーズンも試合に出る機会が多くなりました。秋は先輩のプレーをみて、4年生になってこのポジションを引き継ぐことに不安しかありませんでした。涼介さんのアフターのパス、キック練やメンタルケアなしには2、3年は乗り越えられるものではなかったです。本当にありがとうございました。

4年になり、春シーズンはハイパントの精度を自分の強みにできたと思います。ただハーフとして最も重要な、球を速く捌いてテンポをつくりゲームメイクをするというところに関してはあんまり成長できませんでした。阪大戦の敗北、合宿の全敗を重ねて戦術を試行錯誤し、ようやく方向性が決まった中のリーグ戦1試合目で鼻を粉砕してしまいました。自分としては肝心のリーグ戦における私立との試合に関わることができず、1番成長できるであろう試合をまた見逃し、チームとしてAリーグ昇格という目標も達成することができませんでした。

色々後悔が残る部分もあるし、なんで大学でこんな苦労してるんだ?って思ったことも多かったですが、ここに入って正解でした。この部活は僕に全てを教えてくれたと思っています。

先輩も同期も後輩も、誰を見てもこうなりたいと思わせてくれる人ばかりでした。練習や試合での盛り上げ、小さな気遣い、人としてのマナー、縦横のつながりの強さ、挑戦する姿勢。名大ラグビー部に当たり前のようにある文化は、どれも本当にかっこよかった。

大学に入るまで、自分は「努力が取り柄」と思っていました。でもこの部には、自分の想像を軽く超える努力を当たり前のように積む人が何人もいて、そんな仲間に囲まれながら必死に食らいついた4年間は、かけがえのないものです。人間としてもプレーヤーとしても、この部活に育ててもらいました。
残された恩返しのチャンスは東大戦のみです。
この部活に関わる全員が報われるよう、絶対に勝ちにいきます。

そして最後になりますが、

佐々木先生、谷口先生、土門さん、藤本さん、院生の方々、OB、OGの方々をはじめラグビー部に携わって下さった全ての方々、多大なるご支援とご協力のおかげで今活動できていることを強く感じています。本当に4年間ありがとうございました。

同期へ

最高の同期に恵まれて本当に幸せでした。苦しかったことも楽しかったこともエピソードなんてあげたらキリがないけど、とにかくアツくて義理堅い同期と過ごした4年間は宝物です。本当にありがとう。

次は晴也にまわします。

同じハーフ出身で練習合間に茶々入れてくることが多かった晴也になんだかんだ助けられてました。スタッフの仕事の取りまとめから色々な相談役まで担ってめちゃくちゃ苦労したと思うし、自分の知らないところで部活のために沢山頑張ってくれてる所に本当に感謝しています。体調万全、機嫌も万全で東大戦までよろしく!!

2025年12月3日水曜日

切望

 恭司から回ってきました。4年の大箸晃基です。すでに何度も書き直しているほど恭司には書けること、書きたいことが多すぎます。君が自分の目標のために必要なことを理解して、大変なことにでも挑戦しているところ、本当に尊敬しています。

たぶん一番マッサージしてもらったし、精神面でも支えてくれてありがとう。2年のときとか、悲しいことも多かったけど、嬉しい場面の前振りにしたいね。



冒頭にはなりますが、谷口先生、土門さん、藤本さん、院生の方々、OBOGの方々、そして全ての名大ラグビー部に携わってくださった方々、4年となって改めて多くの支援のおかげで活動ができていることを強く感じ、その支えのおかげで一年間なんとか走り切ることができました。4年間本当にありがとうございました。



最後のブログということで今までの先輩のブログを見返して何を書こうか参考にしようと思いましたが、自分にはあのような感動的ブログは書けないなと思いました。とりあえず4年間を振り返って、自分の考えや思っていることを書こうと思います。



なんと母校の名古屋高校が今年の花園に出場することが決まり、OBとしてはとてもうれしいです。一方で5年前の苦い記憶を思い出します。

約10年間野球をしていて、やるからには強いとこでということでラグビーを始めました。経験者も多い中、最後の1年はすべての試合に出していただき、花園予選決勝を迎えました。今でも最後のマイボールのプレーは鮮明に覚えています。キャプテンからパスを受けて、タッチライン際を走ったところタッチに出され相手ボールに。それがチームの最後のマイボールでした。試合後は任せてもらったチームメイトへの申し訳なさで立っていられないほど泣いていました。結局は試合には出ていたものの、必死に食らいつくことしかできなく、勝利に導けるような力がありませんでした。この試合は僕の人生で唯一後悔していることです。



時は流れて大学1年生。入部を最後まで迷った理由も高校でのラグビーでした。高校にはうまい人もたくさんいましたが、僕自身はラグビーがうまくない。彼らはすごいのに、自分の実力のなさのせいで周りからたいしたことないと思われるんじゃないか、というのが懸念点でした。入部してからはなるべく試合に出て、とにかく結果を出したいと必死でした。試合には出ているもののやっぱり自分はうまくなく、勝ちに近づけられるような選手ではなかったです。


2、3年生では様々なポジションをやってみたり、できるとも思ってなかったパスやステップなど練習してみたり、プレーの幅を広げられた2年間だったと思います。


4年生になり、チームの戦略や方針、練習を考えることはもちろん、チームを引っ張る立場というのは大変なものでした。僕自身は背中を見せるタイプではないので勝ちという結果で貢献したいと思っていました。そんな矢先の「WTB起用」これはたまげましたね。まさかの事態でここにきてまた新しいことという感じではありましたが、楽しくなんとかやれたと思います。しかし、春シーズン締めくくりの阪大戦で敗戦、合宿でも全敗という結果でした。試行錯誤しても試合には勝てず、個人として勝ちに導くためにやってきたことも、結果がすべてを否定します。この時期は本当に苦しかったです。

その苦しく先行きが不透明な状態も、合宿後から状況が好転したように感じます。4年で迷走していた考えも一つにまとまり、「とにかく走る」という代にとても合った戦い方になったと思います。ただ、これも違う意味でとてもきつかったんですね。フィットネスを決める側として、誰を基準にフィットネスをするのかとか、それによって楽になる人が出てこないかとか、、本当に悩みました。最終的に地獄の9月が完成しました☆。それでもチーム全体、本当によく頑張ってくれたと思います。迎えたリーグ戦、結果としては勝ったり負けたり、春のシーズンを考えたらかなり健闘をしたと思います。個人としても勝利に貢献できる選手に少しずつなれてきたのかなと思ったり。しかし、目標のAリーグ昇格には届きませんでした。



先ほどから幾度か出てきたり、僕からも直接「結果」という言葉を聞くと思います。よく僕は過程や努力より結果に重んじているという話はすると思いますが、それは決して過程や努力を軽んじているわけではありません。人はそれぞれ目標を立てて、それを達成するために努力をすると思います。ならば、その辛くてもした努力を目標を未達成のまま美談にするのでなく、自分自身で肯定するためには目標を達成する必要があると思っています。皆さんも、今年4年が掲げた目標のためにいろんな努力してきたと思います。血反吐を吐くような練習をしたり、部活なんてやってる場合じゃない肉体的、精神的な状態でもグラウンドに向かったと思います。負けはやってきた努力の否定ではないけれど肯定にもなりません。勝つことでしか私たちがやってきた努力を肯定できません。阪大戦やリーグ戦で達成できなかった分、東大戦に勝つという結果で私たちの努力を肯定してやりましょう。



同期へ。4年間いろいろありましたね。最初は選手12人スタッフ6人もいたのに今や合計13人しかいない。プロテインの取り合いだの、間違えて入った駐車場でお金払わされただの、しょうもないことで喧嘩しましたね。結局4年になってもミーティングの終わる時間で喧嘩になりましたね。こういう与太話ならいくらでも出てきてしまう。いろんなこと話したし、迷惑もたくさんかけたと思う。この同期と過ごしたラグビー部での4年間は、何にも代えがたい日々でした。本当にありがとう。

俺たちはまだ、必死で頑張ってきた4年間の努力を肯定できてない。1年間ついてきてくれた後輩たちに何も返せてない。なんとしてでも東大戦勝つぞ。



次はかずひろに回します。

お互い男子校出身で、馬鹿みたいな話をしたことしか記憶にありません。

吹奏楽からラグビーを始めて、しかも責任の重くて難しいポジション。個人的にハーフはかなり大変だろうなと思っていたけど、かずはその分すごい努力をしたんだなと感じています。難しいこととか求めてしまうけど、それくらい最後の試合に勝つにはかずのプレーが重要だと思ってます。頼むぞ!!

2025年11月30日日曜日

味方

立樹から回ってきました。スタッフ4年の八窪恭司です。立樹は術後で辛い時期が多かったと思いますが、いつも明るく接して笑わせてくれます。また、夏には、ビデオを代わりに撮ってくれたり、ドリンクや氷を作ってくれたり、スタッフの仕事までやらせてしまってごめんね。嫌な時もあっただろうに嫌な顔せずいつも手伝ってくれてありがたかったし助かりました。引退してもいっぱい遊ぼうね!笑



さて、ついに僕にも最後のブログなるものが回ってきました。昨年までは先輩方の心が熱くなるようなブログを読んで感動していたものを自分が書く番になったんだなと不思議な気持ちです。

自分は4年間を過ごして正直に今思っていることを書こうと思います。

少し長くなりますがお付き合い頂けると幸いです。



僕のラグビー人生は思いもよらぬ形で始まりました。将来プロ野球・メジャーリーグのトレーナーになりたい。だから、サポートする側の人間として成長したいと思い、新歓の雰囲気が好きで、怪我が多く、テーピング技術も学べ、将来に活かせることが多いラグビー部にスタッフとして入部しました。

男性スタッフとしては僕が1番目に入部し、先輩にも男性スタッフはいなかったため、男性スタッフとして、組織に所属させてもらえるようにプラスアルファのサポートができるようにしようと強い志を持って入部を決断しました。

その事から、スタッフとしての基本となる仕事である練習・試合準備、ビデオ撮影等と共に主に選手に対して、ストレッチやもみほぐしを提供できるよう精進し、マッサージベッドも部室に置かせて頂きました。出る杭は打たれるとよくいいますが、1年生の時からこのように好き勝手やらせて頂いた僕の行動を受け入れ、許容し、さらには「すごいねありがとね」と言ってくださった先輩方、試合前の大事な体を預けてくださった選手の方々には感謝しかありません。本当にありがとうございました。


今までは選手としてスポーツに関わっていた中でサポートをする側に回ったことで最初は慣れないことも多く、先輩の気づきの視点や仕事の速さにまだまだできないことだらけだなと感じることも多かったですし、プレーをしない側として部活に関わる上ではじめは練習中等に自分は今何をしてるんだろうと感じることも正直ありました。しかし、スタッフの先輩方から仕事内容について学び、多くの事を経験しながら仕事もこなせるようになれ、スタッフの方々それぞれの部活に対する強い思いを感じる中で目立ちはしないし、成果も正解も見えにくいスタッフの仕事の中で毎日当たり前のように練習ができる環境を静かに整えることの大切さ、その上で選手と深く関わりサポートし、選手と共に熱い気持ちで試合に向かって行くということを学べたと思います。



2年生になってからは人として大きく成長できたと思います。はじまりは大切な同期が部を去っていったことです。本当にショックだったし、結構辛い時期であったと思います。この時には部活に対して真摯に向き合うことができず、申し訳ないことをしていたと思っています。すみませんでした。

また、「どうしたら良かったのか」「正義とは何か」「部活とは何か」「自分は何がしたいのか」「なんでラグビー部にいるのか」再度深く考えることができたと思います。そんな葛藤の続く中、アメリカへ留学に行きました。アメリカでの、自分がマイノリティーである事や価値観、文化が多様な世界での経験が自分を人としてさらに成長させてくれました。


世の中、世界にはいろんな人がいます。よく、「ロング派かショート派か」のように、両極にある、2元論での議論になる事があるかと思います。

皆さんの答えはなんですか?


この問いに対してどっちかに絞って回答していないですか??

ボブが好き、ミディアムが良いというように中間のような立ち位置のものが好きな人もいるはずですし、ロング派の人でも、どのくらいのロングですか?肩まで?腰まで?

また、ここまでの話であなたが想像しているのは男性での話ですか?女性での話ですか?誰に対してでも当てはまりますか??


回答はもちろん、質問の捉え方もとにかく、みんな人それぞれです。スペクトラム的に考えると良いと思いますが、そのスペクトラムの中でみんなそれぞれの考えを持っていると思います。さらにそのスペクトラムの軸は「ある問いへの考え方」「個性」等無限にあります。

だからこそ話し合いが必要だし、チームスポーツでは特にお互いの考え、強み、苦手な所を理解して補填し合う事が大事なんだろうなと思うようになりました。



脱線してしまいすいません。話を戻してこれらの時期を超えて、3年生。上級生、さらには外傷としては最高学年という事で気持ちを新たに部活に取り組みました。

ありがたいことに後輩スタッフのみんなに頼ってもらえることも増え、選手にも怪我、テーピング等信頼してもらえることが多くなり良かったと思います。しかし、自分のことは良いですが、他の人も巻き込んでスタッフという組織を引っ張って行くことの難しさを感じた一年でもありました。



4年生になり、組織を運営する事の難しさ、スタッフをまとめ、導いて行く事の難しさを再度痛感しました。

春シーズンは実習に行っていた事で部活に来れないことが多く、対応について晴也、花梨に任せることが多くなってしまい、部活に行けるようになった合宿以降も積極的にコミュニケーションをとって組織を管理、コントロール、コーチングすることはできなかったと感じています。


また、今年はチームとしても辛いシーズンでした。

阪大戦の敗戦、合宿の全敗。

阪大戦では、試合終盤から救急車対応のため管理人さんと言葉をかわしていましたが、ノーサイドの笛の瞬間「あ、今名大が負けました」と冷静に言葉を並べた瞬間を今でも鮮明に覚えています。春シーズンチームに対して深く関わることができなかった不甲斐なさからか、救急対応という場面で冷静だったのか、淡々と冷静でいられた自分が悔しかったです。


合宿後からの練習は見ていても目に見えてわかるきついものであり、夏からそんな練習をやり切った選手たちには尊敬の念しかありません。

最後の東大戦。そんな選手たちがベストな状態で臨め、勝てるように最後の最後までサポートできるようにしたいです。



最後に、お世話になった方々へこの場を借りて感謝申し上げます


佐々木先生、谷口先生、土門さん

いつも、熱いご指導ありがとうございました。皆様の熱いご指導にスタッフである僕も感化され、もっと頑張らないと、他にやれることがあるのではないかと考えることができました。


藤本さん

テーピングや各種講習会等で様々なスキルや知識、考え方を学ばせて頂きました。また、昨年から2年間連絡をとらせて頂きながら、部活の時間以外にも頼らせて頂きお世話になりました。サポートする側の人間としての軸を作って頂いたと思っています。本当にありがとうございました。


OB・OGの皆様

いつもかわらぬ温かいご支援を頂き、部を円滑に運営するため多くのサポートをありがとうございました。100周年を迎える来年以降も応援よろしくお願いいたします。


同期

僕が本当に部活を辞めず続けられたのはみんなのおかげです。個人的に辛い時期にもみんなの何気ない一言が僕を救ってくれていたし、新歓の時期に留学に行く事を快く受け入れてくれた事、実習でいない時も応援してくれた事本当にありがたかったです。



振り返ると、苦しかったこと、辛かった事、もっと上手くできたんじゃないかと思う事ばかりでした。

でも、最後はみんなで笑って良い思い出で締めくくりたいです。もう誰も泣かない結末に。

皆様のお力添えをよろしくお願いいたします。

12月21日絶対勝ちましょう。



次は晃基にまわします。

何を書けばいいのか困るくらい晃基とは4年間濃密な時間を一緒に過ごさせてもらったと思っています。笑

自分の芯を強く持ち、それを保ち続けるプライド、行動、プレーを4年間一貫していてすごいなと本当に思います。今もとんでもなくきついフィットネス練を率いてくれていると思うけど最後、東大戦でも勝利へチームを牽引していってください!

2025年11月29日土曜日

橋のような人

 らなちゃんから回ってきました、4年の代の村上立樹です!らなちゃんの文章見てると僕ってただのかまちょでしか無いですね、反省します。らなちゃんは練習やテーピングするときに勤勉さをとても感じます!


さあさあやってきましたラストブログです。ラストブログ第一号は最後の年を怪我でおじゃんにしてしまった私となりました。僕に今学期に入ってから会って無い方はご存知ないと思うのですが、あれは4月の中旬のことでした。キックキャッチフォローランという練習中、キックキャッチでジャンプをしたら左膝に全体重がかかってしまい、左膝前十字靭帯損傷という怪我を負ってしまいました。この怪我を負ったら基本的に1ヶ月後とかに手術をするのですが、手術をしてから6ヶ月後までどのスポーツも出来なくなります。9ヶ月経てばラグビーやアメフト、柔道といったフルコンタクトスポーツが出来るようになります。僕は手術をしたのが、5月なので来年の2月までフルコンが出来ません。自分は2年3年の頃は一切怪我をしていなかったのでまさかこのような大怪我を負うとは思いませんでした。自分は結構自分に甘いタイプなのでこのような言い訳出来る理由があると言い訳して堕落してしまうのですが、今年は航太が怪我人のことを見てくれて一人できついことをするよりももっときつい事が出来たと思います。また、藤本さんやはちやのトレーナーさんにはリハビリで一杯しごいてもらいました。あのときはとてもきつかったですが、今はとても感謝しています。ありがとうございました。まだ藤本さんも航太もたくさんしばいてくれると思うのでこれからもよろしくお願いします。


今思えば4年間色々な方に支えられたな、と思いました。一年目の頃は苦い思い出が多いですが、初心者練で常光さんや澁谷さんなどに一杯しばかれたことは今でも一番きつかったと思っていてあれを乗り越えたからこそ今があると思います。また、愛知教育大学との練習試合に出て自分の試合の内容が悪くて落ち込んでいたときは西島さんやひでさんといった当時の4年生に慰めてもらったり励ましてもらいました。加えて僕はあの代の時に遅刻を繰り返してご迷惑をおかけしたので今もあの時を覚えて気をつけています。

2年目は一番自分が成長した年と感じています。センターからフランカーにポジションを移したときは雪冶さんのプレーを参考にしたり宏亮さんが試合中の反則の再開の仕方について度々質問して教えてくださったときはいい勉強になりました。

3年目は2年目の時に反して不甲斐なかったなと感じました。上級生になって自分が後輩にアドバイスをしたりや参考にされるべきなのに後輩自分の方が後輩を参考にしないといけないレベルでした。自分はかなり不器用な上に最善択を見つける事が下手だったので血迷っていたなと思います。ただそんな時でも啓太さんはフロントサイドなどでたくさん当たってくれて自分がボロ負けでもしたら叱咤激励して自分をいい方向に成長してもらったのかと思います。

このように先輩の方々に支えてもらったことを書きましたが結局はずっと同期に支えてもらっていたのだと思います。自分が遅刻したときは怒ってくれて一緒に謝ってくれたし一年の時に部活を辞めたくなったときは同期が部活に行く楽しさを教えてくれました。あの頃に自分の同期が居なかったら今いるかどうかも怪しいと思います。

僕はこれからもラグビー部にいる事になりますが、これからも色々な方や同期に支えられ、助けてもらうと思います。人間一人で生きていくことはとても難しいと思います。なのでこれからは自分が支えられた分だけ他人を支えていきたいと思います。拙い文章ではありますが、最後まで目を通していただきありがとうございました。


次は恭司に回したいと思います。恭司はいつも陽気に話してくれていつも楽しく感じます。彼と喋れるのも残り3ヶ月と考えると名残惜しく感じます。これから忙しくなるけどまた一緒に遊ぼうね!