2017年12月16日土曜日



この一年を振り返ってみる。
今までで1番長く感じた一年だった。去年の東大戦がとうの昔のように思える。それだけ苦しいことが多かったということなのかもしれない。だがこの一年ほど充実した年はない。仲間と力を合わせ新しいことにたくさん挑戦した。勝利に向かってひたすら走った。良い一年だった。


院生のみなさん、忙しい中一緒になって本気でラグビーやチーム作りをして頂いて、ありがとうございました。
後輩のみなさん、走破とか無茶いっても元気よくついて来てくれてありがとう。おかげで、最後まで走り抜くことができました。
そして同期のみなさん、沢山支えてもらいました。みんなが同期だったからキャプテンできました。本当に。ありがとう。


さあ、最後の1試合。
最後の一瞬まで走り抜きましょう。

2017年名大ラグビー部スローガン  走破
主将 渥美竣介

2017年12月15日金曜日

こんにちは、今年一年副将とFWリーダーを務めさせていただいた牧野です。
早いもので、僕のラグビー人生でついに最後の試合を迎えようとしています。
振り返ってみると、僕はラグビーと共に成長してきたと言えるくらいラグビーに影響されている気がします。
前に多少書いた気がしますが、最後だし、研究の中間発表も終わり暇なので僕とラグビーの物語でも書こうと思います。

ラグビーに出会ったのは高校の時。僕の行った高校はラグビー部が全国大会に出たり、毎年愛知県ベスト4に入るくらいの強豪の公立高校でした。家に近いから行っただけですが。そんなところで僕がラグビーをやろうと思ったのは多分僕の中学時代に起因します。

僕は中学時代かなり腐ったやつでした。ヤンキーでもなく、腐ったやつ。
野球部に所属していたのですが、僕は運動神経があまり良くなかったので、かなり下手くそでした。しかも兄が同じ野球部に所属していて、かなり上手くて期待されて下手だったので、まあつまらなかったのでしょうね。入って半年で練習を無断休みするようになり、朝練を行かなくなり、部活に行ってもヤンキーみたいな奴と部室で漫画読んだりだべったりしていました。部活では先生を切れさすのが楽しみだった気がします。練習試合は行くのですが、公式戦は出れないからいく意味ないと行かなかったり、行ってもだるいので始まったらすぐにどっかでヤンキーみたいな奴と遊んで終わり頃に帰ってくるという感じでした。ベンチにいなきゃ行けない時は寝てました。最後の試合は流石に行って、負けた瞬間やったー夏休みだと言ってました。キャプテンとは何回か喧嘩した気がします。まあそれだけでなくいじめしたり、授業中も鬼ごっこしたり、ゲームしたり。また、多くの法律に反する行為をした気がします。(これについては警察のお世話に何度かなりケリはついてます。指紋スキャンされました。)中2の時には先生にのたれ死ねとまで言わせました。笑
何というかヤンキーという感じではなくて、弱っちいやつで、何もない自分にアイデンティティが欲しくて、他人ができないことをして自分を見出すみたいな感じでした。ジョジョの「さすが、ディオ!おれたちにできない事を平然とやってのける、そこにシビれる!あこがれるゥ!」って感じです。単純に性格が捻くれていたのもありますが、自信がなかったのもあったかと思います。

そして高校の時。僕は何か変えたかった。何もかもへぼい自分をどうにかしたかった。何か自分に確固たるものが欲しかった。まあ先輩にモテると言われたからというのもありますが。そういう思いで強豪のラグビー部に入部します。
それで、速攻で辞めたくなりました。練習はめちゃくちゃきついし、痛いし、中学時代の癖が抜けず、よく遅刻したり練習で手を抜いたり、風邪と言ってサボったりしていたので先輩にめっちゃ切れられるし、ラグビーでは何もできなくてつまらないし、そもそもその頃は体重60kgくらいのカリカリだったので良く吹っ飛ばされていましたし。痛かったので、その頃は如何にタックルにいった振りをしてタックルをしないかを研究していました。笑

転機は一年の秋、僕の先輩方が秋の全国大会、花園に出場しました。練習や試合でめちゃめちゃ熱い先輩方を見ていて、感動してしまいかっこいいなーと思ってああなりたいと思ったのをよく覚えています。

そこから同期の方が俺たちも花園に行きたいと言い出して、朝練とアフター練で鬼のように筋トレをするという組織が結成され、鬼の非科学的トレーニングをしてました。最初は割と普通に追い込む感じでしたが、次第にベンチプレスで10回補助つきで(補助もまじで必要最低限しかしません)やって終わったら5kg減らしてすぐ再開、それを60→30kgまでやるのを2セットやるとか、アームカール計500回とかめちゃくちゃでしたね。やっぱフルスクワットがきついなとなって結構やってましたし、遅刻したら腕立て500回とかしたり、体幹5分とか、とにかくきついことをやってました。

今までで、何か真剣に取り組んだのはほぼ初めてで、めちゃくちゃきついけど、自発的にやるととすごく充実感があって楽しかったのを覚えています。なんか燃えてきてラグビーでも、運動神経はなかったので何か一つできることをやろうと、タックルの練習をめちゃくちゃしました。この時真剣に何かを取り組むのがかなり楽しいということを知ったのが、多分僕の人生でかなり大きかったと思います。あと、ラグビーは野球などと違って、結果がやればやっただけ出ます。僕は野球は全然上手くなりませんでしたが(少年野球と中学の最初の半年はまあ普通に練習してます)、ラグビーは筋トレした分、タックル練習した分、上手くなったのを実感できました。痛いし、きつかったですし、上手くいかないときはよく泣いてましたが、それでも上手くなって相手をタックルで倒した時の喜びはいいものでした。

そして一年の時の新人戦で、一つ上の代が人数が少なかったのと、勝ち上がって行く中で怪我人が何人か出て、少し監督に認められてきつつあったので僕が出場しました。スポーツで公式戦に出るのは初めてだったので、緊張したのを覚えています。ただ僕が出場したのは割と勝ち上がってきたくらいで、そこで強豪のS陵高校とHヶ丘高校とやりました。どちらも50点差くらいで負けましたが、特にHヶ丘との試合はやばくて、3番とか7番にめちゃくちゃ吹っ飛ばされ、あとは8番で当時同じ一年生であり、今日本代表で活躍しているH野さんに、めちゃくちゃ飛ばされました。ハンドオフを正面からくらって、空が見えたのを鮮明に記憶しています。完全に開始20分くらいで心が折れ、あとは相手が来ないとこをに行ってサボるか、きても上手くタックルしたフリをするという感じでした。この時、本当に自分が情けない人物だと思って一日泣いて、心から変わろうと思ったのを覚えています。ありがちですが、H野さんをぶっ飛ばすという目標を立ててやってました。

そこから、本当にラグビーに全てを捧げるくらい努力したと思います。そもそも練習も意味わからないくらいキツくて、今の名大でやってるきつめのコンフィが普通に13個あったといえばなんとなくわかるでしょうか。毎日時が満ちたと言って、練習が終わったことを喜び合っていました。あまりに練習がきついと眠くなってきて、走っているときに意識が飛びかけたこととかあったくらいです。(3年になった時はキャプテンがプロップだったので少し楽になりました。)
その練習を真剣にやりつつ、アフター練して、毎日朝720分に行ってタイヤ引いたり、筋トレしたり走ったりしてました。もちろん授業中は体力回復期間としてほぼ爆睡でした。休日も体が痛すぎるしきつすぎるし一日中寝てました。昼もラグビーの動画をみんなで見ながらご飯食べたり、家でもよくラグビーの動画見ていました。

あとは、僕はあまり信じてもらえないかもしれませんが、運動神経があまり良くなくてハンドリングとかもチームで1,2を争う悪さでしたし、タックル以外下手でした。でも、コーチが君はタックルしてすぐ起き上がって、またタックルして。そういうプレーを極めていけば、めちゃめちゃすごいプレーヤーになれると言われて、感動してそういうプレーヤーになろうと自主的にきつい事やってました。

なんか毎日自分の限界に挑戦していました。めちゃめちゃきつかったです。でも真剣に部活やるのは人生最後だからと、後悔しないように頑張ってました。でも不思議なことに一番きつかった時が一番楽しかったです。今でもあの頃はなんかよかったなあと思い出します。

そうして、3年間を終えました。2年の頃にはレギュラーを取れて3年の頃にはまずまずのプレーヤーになることができて、最後の大会ではその年全国大会で3回戦くらいまで行ったS陵高校にかなりいい戦いをしました。本気で勝てると思ってましたが負けました。

自分個人としては本当に後悔のないようにやりきったと思います。
ラグビーをして、本当に自信がついたし、色々とへぼい部分も少なくなったし、確固たる自己が確立できたと思います。


この体験談から色々と思う事というかアドバイスをしたいと思います。
まず、何か一つ俺が一番だと思える事を作る事です。僕の高校時代はタックルでした。するとそれが自信になって自分にあれもこれも出来るんじゃないかと思って出来るようになっていきます。また、自分に対する自信が、潜在能力の解放度合いを決めます。だからまずは自信をつける事です。自信がつけばあれもできるんじゃないか、いやこの俺にできないはずがないとなってスキルがどんどん身につきますし、判断に自信が持てるようになり、指示できるようになり、どんどん色々できるようになります。

もう一つ、これはラグビーじゃなくてもいいですが、何か一つ全力でやり切る事です。でもせっかくラグビーという努力と気持ちが結果に直結するスポーツをやっているので、ラグビーをやりきることをお勧めします。僕はその体験が何よりも自信をつけてくれると思っています。また、若い時に取り組んだものが全ての基準になります。僕は今でもダラダラしてるとこれでいいのかと思うし、何かやり始めるとあれくらいやらなきゃなとなと思って中途半端にやるとすごく気持ち悪いです。また、どんな困難に直面しても、あの時最後までやりきったという事実が力をくれます。本当に。

そしてもう2度とラグビーはやらないし、あんなきついことはできない、もうやり切った、そう思っていました。
ただ、僕の中でほんの少し後悔があって、それはチームの戦術とかチームに関われなかったことです。自分の事に必死でチームの戦略とかは色々上手い人たちがやってましたがあまり関われずにいました。また、練習でみんな気合いが入ってなかったり、そういう面でも我関せずで注意などできませんでした。もっと戦術をしっかりすれば、チームに関われば勝てたんじゃないか。そういう思いが少なからずありました。


そして一年浪人して名大に来ました。色々とやりたいことがあったので、ラグビー部に入ろうかかなり悩みましたが、最後の心残りを無くしてチームに関わろう、また高校の時にはできなかったアタックやいろいろ楽しくラグビーしてみたいな、流石に高校の時のようなきつい練習はしないだろうし、という軽めの気持ちでラグビー部に入りました。

そして、名大に入ってまず驚いたことは、戦術が全然ないという事です。かなり個人の能力に任せたラグビーをしていて、原始的でした。高校でもコーチ主導ですが論理立てて、こういうチームを目指してこうやって勝つというビジョンをある程度持ってやっていたし、FWは本当にいろんな事をこちょこちょとやっていたので、結構驚きでした。ラインアウトモールとかゴール前はかなり色々小細工してやってましたし。まあコーチなどは高校の時のように教師で毎日がっつりではなく、善意でちょくちょくきて下さっている方だったのでしょうがないのかと思ったりしました。

一年の時は、みんな上手くて個人の能力で十分強くて上手くいっていたし、すごく熱意があったので、あまり言いませんでした。もうちょっと考えた方がいいんじゃないかなと思いましたが、自分も勉強不足で自分が高校でやってきた事が本当に正しいのか分かりませんでしたし。まあ、高校の時はあまりできなかったアタックとか、戦術理解をやろうと思って自分なりに色々練習や勉強していました。

二年の時は、自分が中核メンバーになったこともあり、練習の仕方とか、戦術ももっとこうした方がいいのにという不満が色々あって、色々口出ししたり不満を漏らしたりしていました。今思うとかなり先輩に牙を剥いた感じになってしまい、もっと生産的なやり方があったのではないかと反省しています。しかし、高校の時のように個人で満足して終わるのではなくてチームとして勝ちたい、そんな思いからでした。ただ、結局あまり上手くいかないまま終わってしまいました。しかし、個人としてはとても成長できて、自分もかなりアタックできるようになったなあと感慨深かったのを覚えています。今でこそハンドリングは結構ましになってますが、高校の時、チーム一のハンドリングエラー王で、何かの試合で7/12僕のハンドリングエラーだった気がするので。今の僕のハンドリングがましなのはたゆまぬ反復練習のおかげだと思います。

はっきり言って僕はこの頃の名大が好きじゃありませんでした。意図が伝わってこない練習や、ヌルい練習ばかりで勝つ気あんのかなと思ってました。また、名大の激しいプレーを練習であまりしないヌルい文化が嫌いでしたし、代々スキルや戦略が受け継がれていかず、ぶつ切りになるシステムとか、後輩の意見をなかなか聞き入れない感じとか、名大の文化が好きじゃありませんでした。また、僕はナルシスト的過信プレーヤーとか、ガツガツ来る奴とか、本当に狡いやつとか大好きだったので、真面目なプレーばかりするのも好きじゃありませんでした。それでまあ先輩に牙を剥いてしまったのですが若かったですし、しょうがないですね。ただ今思うとかなり上の立場は大変なのでしょうがないと思いますし。厄介な問題児が増えただけで生産性がなかったと思います。でも、変えたかったのです。名大の文化を変えるのがこの頃の目標でした。

三年の頃は反省し、自分の意見を書いたものをレポートにまとめて、上級生に提出しました。ただ今思うと理想論ばかりで全然洗練されていなかったのでまあダメでしたね。メンバー的にはかなりイケると思ったのですが、上級生が分裂しかけたり、色々と試行錯誤がうまくいかなかったりであまりうまくいきませんでした。僕も学科の勉強が超絶忙しかったのといろいろとあって部活にあまり関われませんでした。またなんか人生に疲れてしまって、ちょっと腐っていた時もあったと思います。今思うと申し訳ないです。でもそれなりに意見を聞き入れてくれたり良い方向に少しづつ変わっていたと思います。


そして今年、最上級生になりました。今振り返ってみると、かなり大変でしたがめちゃくちゃ学ぶことのある1年でした。自分らが思う戦術を明確に定めて、それに基づいた練習をして、どうやったらそれをチームに落とし込めるかすごく考えました。また、僕はプライド全然ないし、自分の視点は凝り固まって見えないことが多いことを十分理解しているので、後輩に色々アイデアを聞いてやっていました。自分たちなら絶対にできると思っていたのですが、本当にやってみないとわからないことだらけで、試行錯誤しながらラグビーの勉強してやっていました。やる前にかなり色々と考えたのですが、やっぱりやらないとわからないことだらけでした。そしてやっぱりリーダーとして考えることが多くてしんどかったですね。本当に長く感じて今年は2.5年分くらいありました。正直今は長い長いマラソンを何とか走ってきてやっとゴールテープが見えてきた、そんな心境です。

僕は名大の文化を変えようと思っていました。チームとして連戦連勝を毎年できるような強い組織とシステムを作りたいと考えていました。熱がこもった練習をもっとしたいと思っていました。もっとチーム全体の理解度を上げたかったし、もっと基準を示してそこまで登らせたかったし、スキルが受け継がれていくシステムを作ったりしたいと考えていました。しかし自分が思っていた半分くらいしかできませんでした。僕が未熟で勉強不足だったのもありますし、4年生になってくるとまあちょっと歳的にちょっとしんどかったり、一年という時間で色々することはなかなかできませんでした。それでもまあ未熟なりにそこそこできたのではないかと思います。

本当に色々ありました。正直リーダーとしてあるまじき事をしてしまった事もあるし、きつい練習ばかりだったと思うし、でも盛り上げてついてきてくれた後輩には本当に感謝です。本当に今年はいいチームができたと思います。ただ、やっぱり一年というのは何かを達成するには短すぎました、本当にあと一歩の所で結果がついてきませんでした。最後の方になってやっと自分達が本当にどうしたらいいのか、どんな戦術をとったらいいか分かりました。でも今年作ったラグビーが今後数年間名大ラグビーのベースになる、それくらいのものを作り上げることができたのではないかと思っています。

僕が名大ラグビーで体験して伝えたいのは、まずは頭を使うこと。まだ自分に確固たる自信のあるプレーが作れていない人にはそちらを優先した方がいいですが、ある程度できるプレーヤーは頭を使うのは本当に大事です。個人戦略として、体のどこをどういう感覚で使ったら上手くいくのか、自分はどんなプレーヤーを目指してどこを磨いていくのか、そういうのも大事です。自分で考えて色々できないプレーヤーはやっぱり上手くなりません。ラグビーを理解して何をどういう意図でやっているのか、されているのかを理解することも大事ですし、相手の隙はどこにあるのか、相手の嫌がることは何か考えていくのも大事です。そしてやっぱりラグビーを見ること、それはYouTubeのプレー集みたいなもので構いませんしとにかくいいプレーを見て学ぶことがめちゃくちゃ大事です。あと、ラグビーを勉強すること。
このあたりのブログは僕もよく読んでいてお勧めです。
こうやって頭を使ってラグビーしたことが本当にいろんな所で僕は生きてます。こんなに頭使いまくって、自由度高くて、努力と結果が結びついているスポーツは他にありません。このスポーツで毎日PCDAサイクルを回しまくる体験はおそらく今後の僕の人生の基礎になるでしょう。それくらいいい体験だったと思っています。

そして主体性を持って生産的な行動すること。やっぱりチームを学生主体で運営していくには一人一人がチームをよくしたいという意識が欠かせません。人は自分の価値観でバイアスがかかった世界を一人一人見ているので、上手いから見えない、理解度が高いから見えない世界もあります。だからこそ全員が意見を出していったり改善していく意識は必要ですし、積極的によくしようと関わろうとする意識が必要です。これが本当にできた時、学生主体というのは弱みではなくかなりの強みになると思っています。また、割と非生産的でない行動をとりがちな後輩もちょこっといますが、プライドとか全て捨てて、生産的な行動をとってほしいと思います。これはどんな組織に行っても役立つことだと思います。

あとはやっぱり熱を持つこと。楽しむこと。大学ラグビーでは高校の時のように若くないし、他にも勉強とか研究とかバイトとか色々あって自分自身熱を高度に保つのは本当に難しいと思ったけど、やっぱり熱のない練習や時間は楽しくないです。それにラグビー部での体験が無駄なものになってしまいます。

もう一つ、進化すること。進化とは、今までの自分の価値観を捨てて新しい価値観を受け入れて行動するということです。人は自分の価値観のものしか見えないので、自分の目標に対して必要なものは見えないようになっています。それを破るにはどんなに抵抗を感じても自分には必要ないと一旦思っても行動してみること。自分が尊敬していて結果を出している人が、うんこ食ってますと言ったらじゃあうんこ食ってみる。進化とは自殺するようなものです。でも一回でも行動すると価値観が変わって今までにない世界が広がります。


最後に、僕は基本的にクズで、引きこもり体質でゲーマーなので、もしラグビーをやっていなかったら成長することはなかったと思うし、面白い仲間ができることもなかったと思うし、今でもドクズだったと思います。ラグビーには本当に感謝しています。

そして僕のおそらく人生最後のラグビーの試合の東大戦が迫ってきています。僕はこの物語の最後は必ずやチームの勝利で締めくくりたいと思っています。絶対に勝ちましょう。

次は今年一年キャプテンを務めて引っ張ってくれたあつみくんに回したいと思います。


2017年12月13日水曜日



こんにちは。副将の穐葉です。

なかなか自分の思っていることを表に出す機会も少なくなってきたので、最後のブログは一年間ついてきてくれた後輩に対する思いを書きます。


まず1年生、
一人一人の個性が強く、シャイなやつが多くてはじめはどうなることかと思いました(笑)。ですが、実際に話してみるとみんな熱い思いを持っており、ラグビーに真剣に取り組んでいることが分かりました。
1年生は個々の能力が非常に高い学年です。この学年が成長すればするほど名大ラグビー部は強くなると思います。なので、これからどんどん技術を吸収してチームを引っ張っていく存在になってほしいです。


次は2年生、
1年間チームを率いる中で、この学年の素直さに幾度となく助けられました。様々な新しいことに取り組みましたが、どれに対しても意欲的に、熱くついてきてくれたことに感謝しています。フィットネスを告げた時の2年生の異様な盛り上がり好きでした。よく部室にみんなで集まっており、2年生の笑い声が部室に響いていたのが印象的です。
The いい奴らという感じの2年生も来年からは上級生です。来年からはチームを率いる立場として更にラグビー部を盛り上げてもらいたいです。


最後に3年生、
1番付き合いが長く、共にいろいろなことを乗り越えてきたなと思います。
3年生は特にラグビーが好きな学年だなと感じています。その分知識も深く、この一年戦術面でたくさん力を借りました。
学年が近いこともあり普段から打ち解けて話すことができる人達が多く(中には常にいじってくる輩も出現しましたが)、楽しい時間を共に過ごしたいい後輩です。
技術面においても今年は3年生がチームの大きな力となりました。主力となって活躍してくれる選手が増え、間違いなく今年の名大ラグビー部を支えてくれていたなと思っています。


今の名大ラグビー部はそんな一癖も二癖もある後輩達と共に作り上げてきました。
このチームできる最後の試合が間近に控えています。一人一人ができることを尽くし、チーム一丸となって最終戦を勝利で終えましょう。

次は副将兼FWリーダーのまみつに回します。

2017年12月11日月曜日

こんにちは。ほりまくんから回って来ました4年スタッフ安藤です。小さな巨人は褒め言葉と受け取りました。
さて、この代で部活をできるのもあと数日となりました。もうすぐ引退だなんて実感は全く湧きません。ただ、リーグ戦が終わってからの1ヶ月、東大戦への想いはどんどん強くなっています。

この代で4年間過ごして得られたもの、今年最上級生として部活に与えたものは多くあり、私にとっては名大ラグビー部全てが誇りです。
多くの先輩から学んだ知識や姿勢、同期と共に試行錯誤しながら一緒に成長できたこと、頼もしい後輩に支えられ部活に一生懸命になれたこと、部活時間外の仕事の大切さ。部活、きっと名大ラグビー部に入らなければ得られなかった経験だと思います。
4年間で1番強く感じたこと、それは考えて行動する大切さです。私はスタッフという立場で実際にプレーをして戦うわけではありません。でもやっぱり結果が欲しいし、勝ちたいという思いは部員同様強いです。そこで何が出来るのか。より良いテーピングを巻くためには、ビデオを有効に活用するには、より早く迅速な処置をするためには、部活外で何かプラスになることはないか。考えながら日々行動するだけで普段ただこなしている仕事がより良いものになるということを感じました。これが出来てこそスタッフがチームの勝利に貢献できると言えるのではないでしょうか。
阪大戦、15人だけではなく、ベンチメンバーもスタッフもそれ以外の部員もOBの方々も、全員で戦っているような一体感でした。部員、スタッフ全員が様々な形で勝ちに貢献しようとしていたからではないでしょうか。そんな試合のできるチームです。東大戦、全員で戦えば必ず勝てます。最後まで渥美にそして4年についてきて欲しいです。

私に出来ること、勝ちに貢献できる働きとは何なのか。一日一日を大切に、試合終了のその時までチームのために頑張りたいと思います。応援よろしくお願いします。


最後になりましたが、多くの方に支えられ今があることに本当に感謝しております。思うように部活に参加できない穴を埋めてくれた同期スタッフ3人、いつも全力でサポートしてくれる後輩スタッフのみんな、広報のみなさん、新しいことに挑戦しチームを変えてくれた同期、そしてそれについてきてくれた後輩達、OB.OGの皆様方ありがとうございました。あと数日よろしくお願いします。

次は1年間BKリーダーを務めてくれたいずみに回したいと思います。

2017年12月10日日曜日

優しさに評判のあるけいちゃんから受け継いだ四年FWの堀内です。
これまで同期が言っているように、これが最後のブログになるということで、おいしいご飯のお店でも書こうと思ったのですが、少し真面目に書きたいと思います。
僕が常に心にとめていることなのですが、「努力は必ず報われる」という言葉をよく耳しますし、皆さんもよく耳にすると思います。しかし、僕はこれが合っているとは思いません。言葉が足りないような気がします。
「適切な努力は必ず報われる」という風に僕は思っています。(すみません、これは僕の勝手な自論です。)
こう思ったキッカケは、僕が高校現役時代に遡ります。僕が高校1年か2年の時、名大のオープンキャンパスに行き、名大に惹かれて自分もこの大学に行きたいと思うようになりました。そして、3年になり部活動を引退し、本格的に受験勉強に取り組みました。当時の僕は何をすれば良いのか分からず、みんなの真似をして、過去問をひたすら解き、朝の通学から夜寝る前まで隙あらば勉強していました。結果としては、前期も後期も失敗し、浪人を決めました。高校現役の入試での失敗は基礎力の不足でした。そこから、浪人時代は周りの人に引かれるほど基礎の勉強をしました。過去問はほとんど見ずに、ギリギリまで教科書レベルの問題を解き続けました。結果、浪人一年して名古屋大学前期合格できました。
僕のこのエピソードで言いたいことは、現役と浪人での勉強に対する思考です。現役のころは周りのマネをしてひたすら勉強していたのに対して、浪人時代は常に自分に何が足りないか考えながら勉強していました。
ここで、冒頭に書いた言葉に戻ります。確かに現役時代、合格に向けて努力をしていました。が、それは努力をすることに満足していたような気もします。努力には思考が必要だと思います。そして、これはラグビーにも言えるのかなと思います。目標を持ち自分に何が適しているのかを考えて努力すればいい結果が適した時期に出てくるのではないのかと思っています。(何度も書きますが、あくまで僕の自論です

いよいよ東大戦が間近になりました。最後まで自分に出来ることを考えて頑張りたいと思います。応援よろしくお願いします。


次は小さな巨人ことみつかちゃんに回したいと思います。
桑野トレーナーからブログを回してもらいました、優しさに定評のある4年スタッフの田中佳です。同期がみんな真面目にブログを書いていて私もなにを書こうかずっと考えてきましたが、真面目に書くのはちょっと恥ずかしいなあと思ってました。
そこで、4年同期でも指折りで同期愛に溢れる私から同期一人一人との思い出を簡単に話したいと思います。

渥美最初はほんと怖い先輩かと思ってましたが、同じマンションと知りすぐ仲良くなれました。
いずみ本人には絶対言いませんが、練習に参加できないときもいつも前向きにチームのことを考えているところ、尊敬してました。
ゆーへー一緒に偵察に行きました。あと何とか神社にも行きました。
くわのブログでも話していましたがトレーナーとして今年一年間新しいことを積極的に行って、チームを支えてくれました。
しとう同期数人と自転車の練習しましたね。川名公園で
よしのり私の推し同期です。四年間いつでもかわいかったです。
けんと…1年生の頃からラグビーに熱心で、自分のいいプレーのところをビデオで何回も再生してました。
ほりまいつも優しくて怒ったところみたことありません。心の広さを私にも分けて欲しいです。
まみつ誕生日が近いこともあり、変な本とかカロリーメイトとかよく誕プレくれました。
やぎちゃん去年、会計の仕事終了時に一年間お疲れ様って言われたの、なんかとっても嬉しかったです。
なおたけ…3日間考えましたが、面白い思い出が見つかりません。卒業旅行でいい思い出作りましょう。

みつか、みき、りえに関してはこんな一言で思い出は話せません。学年が上がるにつれて部活の話をすることも多く、仕事ができ、常に周りに気を使える(ちょっと気が強い)3人は本当に尊敬できるところが多く、一緒に4年間スタッフとして活動できてよかったと思っています。あと数多くの茶番もとても楽しかったです。

最後になりますが、個性豊かなでラグビーが大好きな同期が31年生と共に作り上げた今年のチームは本当にいいチームで今までで1番のチームであると信じています。
残り1週間できることを最後までやりきり東大戦に勝利したいと思います。

次は、私と違ってほんとにいつも優しいほりまにブログを回したいと思います。


2017年12月9日土曜日

八木君から回していただきました、4年の桑野です。

私は昨年の夏に選手としての活動が難しくなりトレーナーに転向しました。具体的には選手の復帰までのリハビリ等のサポートを中心に活動してきました。
この活動を1年間してリハビリを続ける選手と長く関わっていてやはり確信するのは、怪我をすると総じてみんな落ち込んでしまうのだなということです。そこで私が今回のブログを通してお伝えしたいことは、練習できない期間こそがチャンスなんだぞということです。

ラグビーは集団スポーツです。日頃のキツかったり辛い練習をともに乗り越え、その先にある喜びや達成感なんかをみんなで感じるものです。それだけに、怪我をすることでその集団の中から逸脱してしまったとしたら、耐え難い疎外感を感じてしまうのではないかと思います。今までは集団の中でみんなと同じように練習をする、そこにこそ価値があると信じてきただけに、それができなくなる自分を否定してしまっているように感じます。
しかしこれはチャンスと捉えることができます。
例えば足の捻挫をしてしまった選手がいたとします。もちろんしばらく走ったり足を使うような筋トレはできません。では、自分には何ができるのか。ただ上級生が作った練習をこなすことから離れ、自分で、自分にいまできることを考えてトレーニングをします。この「考える」ということがすごく価値が有ることだと思います。
部活を4年間やってきて、私は「チームに対して自分には何ができるのか」をしっかり考えて行動できる人を尊敬しています。部員ひとりひとりには、集団の中の一人ではなく、考える個となってほしいと思います。そうなるためのトレーニングが出来るという意味で「自分には何ができるかを考える」ことはチャンスだと思うのです。
そう捉えることで、選手は腐らず、そして周囲の人間は彼らを否定することなく、強くなって戻ってくるのだと信じて支えてあげてください。
それゆえにチーム全体としてうまく付き合っていく必要があるものだと思います。

長くなってしまって自分でも何が伝えたかったのかわかりづらくなってしまいましたが、後輩たちには例えどんな状況下にあっても自分を卑下したり否定したりすることなく、人と違う行動をしていることを自分にしかできないチャンスなのだと捉え、前向きに部活に取り組んで欲しいと思います。

最後にはなりましたが、私が選手を辞めてトレーナーになるという選択をしたことに対して最大限サポートをしてくれた同期をはじめとするチームメイトのみんな、およびトレーナーという新しい活動を認めて下さり支えていただきましたOBの皆様にこの場を借りて御礼申し上げます。

次は「いつも」優しく接してくれた同期スタッフの田中佳さんに回したいと思います。

2017年12月6日水曜日

石原君からすごいプレッシャーをかけられ、回ってきました八木です。

いつも内心、あーブログかーと思っていたのも今日で最後だと思うと、とても切ない気持ちになります。今日は、名古屋大学ラグビーに入って変わった(成長した?)ことについて書きたいと思います。

僕は、入学当初大学でラグビーをするつもりは全くありませんでした。高校で怪我をしてしまったのがその理由でした。大学は、みんなでかいし、牧野君のようなタグラグにボウズでラガパンでくるようなやつと4年も一緒になるなんて無理だと思っていました。
しかし、当時野村さんが引っ張っていた名古屋大学ラグビー部が真剣にラグビーをしているのを見て、もう一度ラグビーをしたいと思い入部しました。
復帰してからは、自分のことばかり考えて、どうやって試合に出るかしか考えていませんでした。ですから、2年生の時は、副務をやらせてもらっていましたが、なんで自分がこんなことしてるのだろうと思う時が多々ありました。
3年生になり、主務として試合を組んで、出場させていただく機会も増え、チームのために何かをして、その試合を通して、勝利しチームで喜びを分かち合う瞬間こそがラグビーの楽しさだと感じるようになりました。4年生の代では、プレイヤーとしてチームに貢献することができず、とても不甲斐ない思いでいっぱいです。しかし、試合に出られなくても、チームに少しでもいい影響を与えたいという思いでやってきたことが、自己満かもしれませんが、部活を最後まで続けたかった理由であり、この経験がラグビー部の4年間にあると思っています。
東京大学に勝利することはとても難しいことですが、最後こそ、名古屋大学ラグビー部の部員として、いままで共に頑張ってきた同期や頼もしい後輩とすべての試合で東大に勝利し、笑顔でこの代を終えたいです。力不足の4年生でしたが、最後までよろしくお願いします。ありがとうございました。

次は、途中からトレーナーに転向し、色々試行錯誤してきた桑野君に回したいと思います。


※どうやら最後のブログのようなので、初めて真面目に書かせていただきます。ネタ要素は一切含んでおりませんのでご容赦ください。

12月、まとわりつく空気は氷のように冷たい、街はすっかりクリスマスムード、あちこちから思い出すかのようにマライアキャリーの歌声が聞こえてくる。地上波では早慶戦や早明戦が流れ、全国の大学ラグビーファンを沸かせる中、人知れず毎年繰り広げられる意地と意地のぶつかり合いがある。東大戦。この戦いの勝利の先にトーナメント進出やリーグ昇格といった具体的ななにかがあるわけではない、勝っても負けても引退、そんな一発勝負を我々にそそのかしてくるのは、意地。過去の対戦成績を振り返ってみると、1957年からスタートし、毎年行われる伝統の一戦、勝ち星を挙げられたのは計6回(ホームページ参照)、勝率からすると、もはや東京大学さんに対する名大の意地というものは崩壊しつつある。しかしその分勝ちをもぎ取れれば、その価値は計り知れないように思われる。先ほども述べたように勝ったからといって具体的な何かを得られるわけではないが、僕が憧れていた野村さんたちでも果たせなかった東大戦勝利、その先にある景色、震え、歓喜を体感してみたい。今はその一心である。僕が入部してから、定期戦勝利というのを一度も手にしていない。今年の阪大戦。序盤から相手の巧妙なキックパスに翻弄されリードを許すも、後半に追い上げ、ついに逆転。その瞬間、疲労感は一気に消え去りとてつもない高揚感にかられた感覚は今でも思い出される。しかし終盤ペナルティゴールを決められ、敗北。もう少しでつかめそうなものが、手からこぼれ落ちていく感覚。久しぶり涙を流した。わりと感動して泣くタイプではないので、涙を流したのは高3のとき自習室で遊戯王をしていたのが学年主任にバレて生徒指導室でブチ切れられた時以来かもしれない。とにかく阪大戦で味わったあの高揚感の先にある感覚を味わいたい、味わずにはいられない。なんなら勝利を決定づけるときのコンバージョンキックは僕が蹴ってみたい。蹴ったことないけど。あまりにも独りよがりな理由だが、自分の中にあるこの欲を満たしたい、その一心で来週の東大戦に臨みたいと思うのである。

次回のブログは八木君です。僕は実は個人的に八木君を尊敬してます。八木君は今シーズン肩の怪我して、プレイヤーとして活動するのは絶望的な状況でした。僕は基本的にカスなメンタルなので、もしも同じ状況だったらとっくにやめていますが、それでも僕が知っている限りでは辛い顔一切見せずに相手校のラインアウトを分析し、それをBチームに叩き込み、対策練に大きな貢献をしてくれました。彼がいなければリーグ戦のときの質の高いラインアウトDFもなかったのではと思います。そんな彼の熱いブログが僕も楽しみです。

2017年12月3日日曜日

なんとも嬉しい言葉を言ってくれたなおたけくんから回って来ました、井本美紀です。引退まで残り短いですが、なおたけくんには精一杯優しさをふりまこうと思います。

今回でブログを書くのが最後だということで、何を書こうか悩んだのですが、せっかくなのでこの同期で良かったと思うことを書こうと思います。色々とあるのですが、1番は、全員が部活に対して本気だったということです。

最上級生になるにあたり、去年の年末頃からたくさんミーティングをしました。もちろん、戦術や今年度の体制についても話し合いましたが、それだけではなく、今の自分たちに何が足りないのか、どうすればその問題点を解決できるのかについても時間をかけて話し合いました。同期一人一人の長所短所を全員で言い合い、自分が4年生としてどんな役割を果たすべきかも話し合いました。
そのような話し合いを経てなのか、同期が最上級生としてどんどん変わっていく姿がみえました。
そんな中で自分が4年生としてできることは何だろうと考えました。私は他の同期スタッフに比べ、不器用だし要領も良くありません。そんな私でもできることは、部活にとってプラスになることは誰よりも進んでやることなのかなと思い、自分なりにではありますができることをしてきました。

何よりもこの同期で良かったと思ったのが自分がこうしたいと思ったことを言うと受け入れて協力してくれたことです。今年、栄養の部門をもっと広げようということになり、どのようにするのが良いか考えていたところ、同期が案を出してくれたり、こういうことを全体で話してほしいとアドバイスしてくれました。また、リハビリ係として怪我人でもできるようなメニューを考えていた時に、部員の意見を聞きたいなと思って同期に聞いたところ、色々とアドバイスしてくれました。
新しいことをやるのはとても難しく、うまくいかないこともたくさんありましたが、何かをやろうとしたときに賛同してくれて、困ったときに手を貸してくれる同期の存在が何よりも大きかったです。

同期の良いところを書くと言いましたが、よくわからないまとまりのない文章になってしまいました。日本語ができないと(同期スタッフ内で)定評があるので、なんとか多めにみてください。

さて、東大戦まで残り2週間となりました。部員が真摯に日々の練習に打ち込んでる中で、スタッフもどんな形であれ少しでも勝ちに貢献できるよう精進していきたいと思います。
そして、必ず今年の集大成である東大戦で勝利を掴みます!

次は、しばしばいじってくるけど、実はなんだかんだ優しい石原くんに回したいと思います。(決して思いつかなかったからなおたけくんのを真似したわけではありません)

ありがとうございました。

2017年12月1日金曜日

同期の推しメンが僕と言う人間の見る目があるりえちゃんから回ってきました、4年の山本尚武です。リア充の祭典が近づいてきて、今年は何をしようかと迷う時期になってきました。

さて、おそらく最後になるであろうブログということで、今後の名大ラグビー部を創っていく後輩の皆さんに、4年生になって思うことを幾つかさらっと書いていこうと思います。僕がラグビー的なことをいうのは厚かましいですが、今Bチームの人には特に読んで欲しいです。

1つ目は僕自身反省すべきことですが、「部活」に対しての姿勢を考えましょう。ラグビーそのもののミスでは無く、部活的なミス(遅刻、忘れ物等)はやめましょう。3年生まで僕は気づきませんでしたが、当初予定した練習が組めなくなったりします。自分の気づかないところで迷惑がかかります。僕もこれまで迷惑をかけた皆さんにこの場を借りて謝りたいと思います。

2つ目に、多少のプライベートの時間でいいのでラグビーに時間を割いてください。特にBチームの人に言いたいですが、「自分1人が上手くなったところでチームは変わらない」と思ってる人がいるかもしれませんが、そんなことはありません。ボトムアップがチームにはめちゃくちゃ重要です。Aとの力の差がある分それを埋めるには部活中にAの人より何倍、何十倍も頭を使うか部活外でラグビーに触れることが必要です。前者はまず無理なので、後者となるわけです。試合を見る、イメージトレーニングをする、なんでもいいのでラグビーに触れる時間を増やしてみてください。次の練習でこんなことやってみよう等自分なりの工夫につながったりします。

3つ目に、利用できることを利用しましょう。特にスタッフの人は部員のために様々なことに手を回してくれています。怪我への対処はテーピングなど目につくところで実感できると思いますが、もっと活用すべきは練習や試合のビデオを見返すことです。その日のうちにDropboxyoutubeに挙げてくれるので、自分の記憶が鮮明なうちに外から見るとどんなプレーをしていたかなど客観的に見直すことができ、自分の良いところ、悪いところが見つかります。また、けんとが言っていて僕も有難いなと思ったことで、アフターに先輩を巻き込みましょう。自分の成長のためにもっと利用してください。

まぁ、こんなもんです。もっと色々あるんですが、あまり多くてもあれなんで、僕がこれまでやってきたことを踏まえつつ書いて見ました。皆さんはまだまだ先があるので自分の成長を目指して頑張ってください。
最後に東大戦全員で勝ちにいきましょう!



次のブログはたまにいじってくるけど、こんな僕にもいつも優しいみきちゃんに回します。ありがとうございました。