愛すべき同期たちに忘れ去られ、気付けばブログを飛ばされ、二年生から回ってきた西山です。悲しいなぁ。
先にブログを書いている方々の文章を読むと、すごくキラキラした青春のようなものが垣間見えると思いますが、自分のブログではかなりシビアなところをお話しさせていただきたいと思います。ではまず一つ目、
「努力とは」
結論から言うと、努力とは自分を否定することであると私は思う。大学生なら受験勉強をしていたときのことを思い出してみて欲しい。勉強が好きで仕方がない、という人以外は受験勉強は辛かったはずである。それは必然で、大学に入るためには頭の悪い自分を否定しなければならなかった。言い換えれば、当時の自分を自ら否定しなければならなかったということだ。そして当然、受験勉強は苦しいものだったはずだ。ここから、努力とは基本的に苦を伴う行為であるといえる。そのものごとが心の底から好きである、という状況を除いて、これはほとんどの事象に言える。筋トレだって力のない自分が嫌いだから、苦を伴ってでも、変わるためにするのだ。
では、今の僕はラグビーがヘタクソな自分が嫌いだろうか?足が遅い、パスが飛ばない、得意なプレーも大したことのない自分が気に入らないだろうか?
二年生になってから一年間、答えを探してきたがその答えは一向に出ない。このままでもいいや、といった甘えの気持ちを認めたくない自分がいる一方、そんなに真剣になることないでしょ、時間の無駄、と自分を否定することから逃げ出したい自分もいる。自分で自分を否定し、その結果がそのまま周りからも否定されれば、それは自分を見失うことに直結する。わかりやすく言うと、「本気でやってできなかったらかっこ悪いから本気でやりたくない」と考える自分がいるということだ。
どちらがカッコ悪いかは一目瞭然と言ったところだろう。
「責任と報酬」
物々しい議題だが、これはラグビーに限らずチームスポーツ全てに言えることだ。チームのうち、ピッチに立てるのは選ばれた人間のみである。彼らにはチームを背負っているという責任がのしかかる。しかし、障害を跳ね除けて勝利という報酬を手にしたとき、それを最も深く味わうことが出来るのはピッチに立った人間だけなのだ。当然、スポーツ以外のことについても言える。社会を見ればすぐにわかることではないだろうか。社長と平社員では給料に差があるのは何故か?責任の大きさの違いだ。
この責任と報酬のバランスがあって初めて、人は上記に述べた努力、つまり自分を否定するという辛い行為をすることができるのだ。逆説的に言えば、努力によって手に入るのは責任と報酬の両方でなくてはならない。
一方、このバランスが崩れれば、途端にあらゆるシステムはいとも容易く瓦解する。
責任はお前にあるが、報酬はない。
いわゆるヤバいボランティアだ。
これでやる気がもりもり溢れてくる人間がもしいたら、私は絶対に関わりたくない。
責任は負わなくていい、しかも報酬もあるぞ!!誰が努力しようとするだろうか。
とこのように、バランスが壊れている状況では必ず何処かに歪みが生じる。上の立場に立つ人間は、この考えをある種神聖視すべきだと私は考えている。私も上級生になって、下級生に指示をすることも多くなる。その時に必ずこの考えは金言となり得るだろう。
「バランスの大切さ」
世の中には沢山のいい言葉、で溢れている。
よく小学校高学年あたりが、一人一人「今年の目標」みたいなものを定めている。「比べない」とかなんとか、そう言ったものだ。
すごくいいものだと思う。使い方を間違えなければ、の話だが。
ブログで他人を批評するのが非常に良くないことは重々承知しているが、今回は同期のしょうまくんのブログのタイトルを引用させてもらおう。
「人任せにしない」
当然、これも金言だ。適切に実行できるならこれほど組織、ひいては社会が回りやすくなる言葉は他にあまり見つからない。
しかし、人任せにしないあまり、個人が辛くなるようでは全くの無意味だ。
例えばこれが黒い企業で掲げられた目標だとしよう。この企業は黒いので、当然一人あたりの仕事量は死ぬほど多い。流石に無理だと思った社員は上司に少し手伝ってもらおうとデスクに向かう。しかしきっとその上司はこう言う。
「人任せにするな!」と一言。
言葉というものがいかに簡単に悪用できるか解っていただけただろう。一歩間違えばそれはまた瓦解につながる。試合でも同じだ。他人にばかりやらせないために何度も何度もタックルに行ったとしよう。しかし最後の最後でスタミナ切れ、抜かれてトライなんてことになったら笑えない。
このブログを読んでいる人は、きっと利口な人物なので当たり前のように理解していると思うが、日常で起こる大半のことについては、均衡というものが大切なのだ。
こんな偏った思想のブログを長々と読んでいただきありがとうございました。最後になりますが、上記の文章は全て僕の内の、まだまだ子供である部分が吐き出した弱音みたいなものです。ラグビー部として活動する上、ひいては厳しい社会に出ていく上で、こんな甘ちゃんではいけないことはわかっています。ですが一介の部員である私の考え方を知ってもらえる良い機会だったかなと思っています。
理系の、それも大して頭も良くないくせに調子に乗って論説文みたいなものを書いてしまったせいで単語の誤用や誤字があるかと思われます。申し訳ありません。
以上になります。ありがとうございました。
次回は今年の副務として既に頑張ってくれている太一に回します。いつもありがとう。
二年生は誰も飛ばされることがありませんように。
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