2015年6月20日土曜日


こんにちは!経済学部3年の加藤武司です!
八木くんから回ってきたように、しばらくの間溶連菌という病に倒れ、一時期39.9度という高熱で死ぬかと思いました。そしてその弊害として、それにより人との対面を止められた僕はゼミ、バイトを休むことを余儀なくされ、復帰した時にはなぜか溶連菌が小児が主にかかる病だとばれており、え、筋トレとかしてて身体強そうなのにそんなに寝込むの?などと言われ心も病みました。外は固く中は柔らかい、という意味ではラグビー部員は食パンのような存在なのかもしれませんね。

またもや八木くんのブログに関してですが、1年生のなかで、八木くんと平澤くんの関係について疑問を持つと同時に、僕と平澤くんの関係について、頭に疑問符が浮かぶ方もいるのではないでしょうか。

なので、僕も平澤くんとの出会いからはじめ、少し思い出に浸らせてください。
彼との出会いは高校2年の春、「ラグビー部に平澤っていうやばいきちがいがいるぞ」という噂は前々から聞いており、同じクラスになって彼と少し話してみると、共通の話題もあり結構なレベルで意気投合しました。おかげで、当時の担任は僕を平澤くんと同類とみなし、2人揃って教室の真ん前の席にされることもしばしばありました…。あまり大学では仲良く話してるシーンが多くはないので高校時代は部活も体育館にいる僕と外で部活をしてる彼は仲良くなかったと思われているかもしれませんが、それこそ部活の以外の時間の多くを彼と過ごしたように思います。例えば、高2の修学旅行では彼と共に神戸の街を散策し、今思えばとても無意味な時間を過ごしたと後悔しております。また、3年も同じクラスになり、部活も引退してふたりとも受験生になり、文武両道を掲げる一宮高校生として心機一転し、勉強に集中しまくるかと思いきや、僕らはお互いに足を引っ張りあい、全然勉強できませんでした。夏休みも、補講には一応行ってはいましたが、なぜか3年生でも1番前で席が隣と状況が多く、授業中、横を見るといつも寝てる男がいました。平澤くんです。そして授業が終わって、自習の時間には廊下に出て、エアーガンで窓からセミを狙っていた週間もありました。これは先生に見つかって控えるようになりました。こんなことをしていたせいで、勉強も学校行事もがんばろう!というクラスから少し浮いてしまい、学校行事は楽しかったのですが、フルに楽しむことができず、青春の1ページが非常に内容の薄いものになってしまったのも後悔しております。
そして受験が近づき、さすがにやばいなといい冬ごろからやるようになりましたが、その空いた時間でもゲームを買いに行くなど今思えばよくないことをしていたなと思います。そんなことをしていた罰か、僕は受験前日に溶連菌ではないですが38度オーバーの熱を出してしまい、下手したら受験できないという状況になりましたが、平澤くんをはじめ、共に受験期を戦った友人とともに志望校である名古屋大学に合格するべく、だるい身体を引きずり受験しました。その結果、残念ながら共に受かることはできず、僕だけ受かってしまいました。
こうしてみると後悔ばかりの高校生活のように見えますが、実際は非常に楽しく、充実していたなぁと思います。
今思えば、高校では器械体操をしておりラグビーとは無縁の生活を送っていた僕が大学でラグビー部入ったきっかけとなったのはやはり、高2の春に平澤くんと出会ったことが全てかなと思ってます。もし僕が彼とあっていなければ僕はこのブログを書くこともなかったと思うと、非常に感慨深いものがあります。

また、僕自身3年生ということで上級生になりましたが、平澤くんをはじめとした2年生、1年生の下級生と上級生を繋ぐ架け橋のような、下級生にとっての目安箱のような存在になれたらいいなと思っております。

次のブログは僕と八木に何か言いたげな平澤くんに回したいと思います。

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