2015年3月22日日曜日

楕円球に、一途であれ

変態ラガーマン
石原悠平(20)
職業   学生

名古屋大学、山の上、夜になるとグラウンドで執拗に楕円球を追いかけ回す男たちがいる。何をしているのか、と訪ねる。

ラグビーです

その楕円球は一見男たちに様々な仕打ちを受けているようにも見える。投げ飛ばされたり蹴飛ばされたりして宙を舞ったり、時には汗水垂らした屈強な男たちが群がってその楕円球を押しつぶしたりしている。正直、楕円球からしてみれば、気の毒な話である。しかしよく目を凝らして見てみると、その荒々しい練習風景の中で楕円球を扱う男たちの手が時折我が子を守る親鳥のような暖かさを放つように見える時がある。屈強な男たちはグラウンドでは何よりも楕円球を大切に扱う。時には自分の身を犠牲にしてまでそれを我が物にし続ける。いわば敵チームは我が子を攫おうとする人攫いのような連中で、そやつらから自分の愛する息子を体を張って守り抜くというイメージなのだろうか。どうしてそこまでするのか、と訪ねる。石原は言う。

楕円球は言うなれば私の愛する女性である

楕円球は美しい、ゆえに私たちが楕円球を乱雑に扱えば、すぐ敵チームに浮気をするし、私たちが大切に扱えば、自分の陣地、つまり自分の家までお持ち帰りできる、つまり我々は楕円球を持っている間は一瞬の油断も許されないのです、と石原は答える。たった一個の楕円球に対して見事に鍛え抜かれた10人程のラガーマンがいっせいに群がる。もう楕円球はモテモテどころではない。私の見解は違ったようだ。彼らは一目惚れし、なんとかデートにまで誘い込んだ彼女を、敵チームである男たちのナンパを阻止し続け自分の陣地、つまりマイホームまでお持ち帰りする、そんなイメージなのだろうか。つまり男たちにとってグラウンドとは、彼女にとっての誘惑溢れる夜のギラギラ煌めく栄の錦通なのである。ゆえにオスである彼らは常に必死である。なるほど、世界規模で見ても男たちがこの競技に魅せられるわけである。

ラグビーとは、人生の縮図である

とりわけ、このラグビーという競技に携わっている人間は社会からの評価が総じて高い。なぜか。それはこの競技が人生そのものを表現しているからである。走って、ぶつかって、時にはすり抜け、やがて倒れ伏す。それを繰り返すことでようやくゴールを得ることができる。走っては倒れ、走っては倒れ、こんなことを毎日繰り返すもんだから男たちは挫折にはめっぽう強い。人間には価値観の違いというものがあり、ラグビーとは無関係な人間からしてみれば、こんな一銭にもならないことにどうして必死こいてやるのか、という者もいるだろう。すると石原は答える。

なぜなら、そこに楕円球があるから

つまり男たちにとって、楕円球とはおのおのの夢がパンパンに詰まったココナッツなのである。彼らはそのココナッツをもぎとるためにあらゆる手段を考察し、そして体を張る。彼らがやがて社会という荒波にさらされたとしても、そこにおける彼らの目標とは日頃自分が追い続けた楕円球が置き換わったものなのだから、適応力が高いのは、当然の話なのである。もしあなたがいま少しでもラグビーをしてみたい、と思っていたとしたら、それは人生という大局的な観点から見ても正解である。大学でラグビーをする、という経験は必ずあなたが今ぶつかっている壁を打ち破ってくれることだろう。

あなたにとっての、プロフェッショナルとは?

そうですね、とにかく一途な人間、自分の夢に対して、夢が振り向いてくれるまで、一途な人間のことを、言うんじゃないでしょうか。

これからも石原は変態ラガーマンとしての流儀を貫いていく。

次回のプロフェッショナル仕事の流儀は、挫折挫折の10代の苦難を乗り越え、やがてプロ顔負けの技術を手に入れ、彼女の右腕は黄金のセルカ棒と謳われることは数知れず、下町の自撮り職人、安藤みつかである。お楽しみに。

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