2018年11月15日木曜日

何と!下から呼んでも、上から呼んでも同じである「おかあおい」君から回ってきました、4年生の平塚周です。

岡くんは男子校出身でありますが、僕自身、高校は共学でありながらも交友関係は、ほぼ♂に限られていたため、親近感が湧いたのでしょう。このリーグ戦期間は、惹かれるように配車が一緒でしたね。ブログについて、「何書こうかな~」と、しばしばベッドの中で寝る前に考えていましたが、いつも答えが出る前に僕は寝てしまいます。(寝るスピードはのび太の如し)
このブログで僕が現在苦しんでいる卒業論文について書いても、卒業論文がなくなることは100分の1ぐらいしかないので、僕の高校時代のことを半分本気(マジ)と半分虚偽(ネタ)で書いていこうと思います。長くなると思うので、軽い気持ちで読んでください。

ーーーーーー時をさかのぼること6年前ーーーーーーーーーーーーー

【高校1年生】
入学式の日、快晴だった(多分)。天気だけでなく、僕の気分もまた、快晴であった。ついに、雪の日に蛍の光のみで勉強していた私の受験期の努力が実り、念願の高校入学である。第一志望に受かったものなら分かるであろう希望の光がそこにあった。
しかし、そこは進学校である。夢も希望も裏腹に、その翌日には実力テストがあった。結果は、322人中315位。突然、ゲリラ豪雨が降り始めた(天気and僕の心に)。初めてのテストで、高校の洗礼を浴びた。「これが、”高等学校”か・・・。」きっと僕は、そうつぶやいただろう。地元じゃ負け知らずという、青春アミーゴばりの僕は、なかなかに挫折したのを今も覚えている。(周と彰である)
落ち込んでばかりはいられず、その翌日、部活動紹介に行った。軽い気持ちでテニス部の紹介ブースに行ったところ、目を引くような光景が、二人の少年によってくり広げられていた。S君とM君である。S君は、今でいう小関君のような体系だったのだが、その日に知り合ったであろう先輩のテニスラケットをお腹にあてて「じゅうじゅうカルビ~」と言って周りをドン引きさせていた。S君には関わらないでおこうと心に誓った。もう一人は、M君である。M君は大きな声で、中学生なら全員が合唱したであろう思い出の名曲「翼が欲しい」の「翼」の部分を「彼女」に替えて、「彼~女~が~~~欲~し~~い」と熱唱していた。テニス部だけは入るのをやめようと思った。
その翌日以降、テニス部は避け、サッカー部やハンドボール部の見学に行ったが、なんだかしっくりこない。私の気分は曇天のようであった。
もう一度だけ、あのテニス部に行ってみよう。そう勇気を振り絞って放課後テニス部に行くと、いるではないかSとMが。恐る恐る声をかけてみると、2人して高校に入って周りの学力の高さを嘆いていた。僕らは、すぐ仲良くなった。「人は自分と同じ能力の人を見つけると、親近感が湧いてすぐに仲良くなることができる」と、心理学の講義で習った。まさにその通りである。教授ってすごいのだ。
まぁ、そんなこんなで2人と出会い、時にテニスボールを追いかけて汗を流し、時に女子を追いかけて涙を流した、そんな高校生活の幕開けであった。


【高校2年生】
高校2年生になった。僕はM君と同じクラスになった。僕は、数学と物理が苦手だった国語という科目の奥深さにのめりこんでしまい文系を選択していた。文系と言えば、クラスの70%を女子が占めるため、必ず卑弥呼的な存在が各クラスに1人以上現れる。僕のクラスにも卑弥呼は存在した。筋肉三姉妹だかゴリラ三姉妹だかを自称して、クラスを牛耳る女子グループによって、僕たち男子勢のお昼ご飯は、母の手作り弁当をクラスの端で食べるという肩身の狭い生活を強いられていた。そんな生活に反旗を翻したのが、漢の中の漢M君である。彼は別名、グリズリーと呼ばれていた。彼は、事あるごとにゴリラ三姉妹に立ち向かっていったため、僕らは「熊VSゴリラの異種格闘技戦」などと言っては外から笑っていた。
そんな僕たちも、修学旅行を迎える。どんなゴリラの圧迫にも反抗の色を示さなかった温厚な男子が、血相を変えて戦った事件が修学旅行で起きた。
修学旅行、それは学生たちの楽園である。それに関して異論はない。大いに楽園を満喫するべきである。しかし、その楽園とは、決して男女が交えて楽しむものではないという暗黙の了解が僕らの中にはあった。
そんな暗黙の了解など知ったことかと、一部の部活(主にサッカーとか)でひそかに、ホテルの自由時間を男女の楽園にしようと企んでいた。その情報をいち早く察知した僕たち文系男子は、なんとかしてその楽園をぶち壊すことを考えた。男女の不純異性交遊に関しては、止めなければならない(ほぼ嫉妬であったが)。今思えば何とも言えない動機である。しかし、そこは高校生。普段は温厚な僕たちにも、日本男児の血は流れている。男女の楽園であろう部屋に、隣の部屋に忍び込んで壁ドンしていった。見る人が見たら、なんと姑息であっただろう。日本男児の風上にも置けない僕らであるが、いざ壁ドンをしていた僕らの心情は、怪盗ルパンの如く”さわやか”であった。(ルパンが日本男児ではないというツッコミはスルー)
まだまだ、いろんなことがあったが、そんなこんなで高校2年生も終わりとする。


【高校3年生】
僕らは受験生となった。修学旅行での一件から僕たちは、学生の楽園を守ったという自負からか、文系における男子の勢力図が増していった。僕がいささか、男子校のノリになってしまったのも、高校3年生のクラスの影響が大きいだろう。(Body Touchが多いのもご愛敬)
僕らのクラス古典の先生だけ、文系で唯一女性であった。お世辞にも若いとは言えないF先生であったが、どこかグラマラスな雰囲気もあいまって、一躍クラスのマドンナとなった。F先生は課題をやってこないと、授業の冒頭で名前を呼んで注意してくれるため、それを楽しみにH君は絶対に古典の課題をやらなかった。いつものように、H君は課題をやらずに自信満々に授業が始まるのを待っていたら、その日は、たまたまF先生がお休みで、代わりに学校1怖いと言われていた野球部の顧問が来た。そして野球部の先生も、授業の冒頭で、課題をやってないH君に注意した。(控えめに言って)めちゃめちゃ怖かった。この日以降、H君が古典の課題をやらなかった日は一度もない。
うん。。。何を隠そう、H君とは僕のことである。
この後の僕らと言えば、受験期であるにもかかわらず、バビロン王朝の名前で親しまれていた先生のモノマネで学校を風靡したり、スリッパ卓球をテスト期間に後輩のクラスでやっていたら、またまた学校1怖い野球部の顧問に見つかって(控えめに言って)バッコリ怒られたりと、楽しい生活を過ごしていた。
こうして僕の高校生活は終わったのである。「平塚恋愛ゲーム事件」や「入口事件」など、まだまだたくさんのことがあった。
今回は書ききれなかったので、それはまたどこかの機会で。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
長編となりましたが、僕の高校生活をざっと振り返ってみました。
高校の時は高校の、大学には大学の楽しさがあります。過去も今も、楽しく生きれている僕は、幸せ者なのかもしれないという、ゴールは、なんともほっこりしたブログとなりましたね。
気づいたら夜も更けてきましたね。それでは、次は大学生活も始まり、生き生き楽しんでいる1年生の榊原しょうま君に回したいと思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿